本日は非常にまれなるスーパームーンの皆既月食現象が起こる日だというので、その時刻の少し前、夜の8時前からスマホを忘れずに持って、ウルフのお散歩に出掛けました。すると、散歩道にいつになく人影が多くみられ、皆さま、空を見上げておられます。でも、家を一歩出た時から空が曇っておりましたので、ほぼあきらめておりました通り、南東の空がよく見えるあたりにまいりましても、全体にもやがかかったようで、星一つ観ることができませんでした。ここに掲げましたのは、昨晩、予行演習のつもりで撮っておいたお月さまです。
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 昨日でしたらよく見えましたのにまことに残念なことでした。

 ところで、以前のブログに、月をテーマとするクラシック音楽にはどんな曲があるのかを書きましたが、そのとき、なんとなく気づいたことを今夜は書かせていただきます。
 それは、もしかしたら、もっとも月に魅せられた作曲家はドビュッシーではないかしら、ということです。ピアノ曲の『月の光』はあまりにも有名ですが、歌曲にも同名作がありますし、ごく初期には当時の彼のマドンナ、ヴァニエ夫人を想ってか『月に寄せるバラード』なる歌曲も書いたようです。これは紛失されてしまったとか。
 ピアノ曲では、前述の『月の光』の他、『映像』第2集に『荒れた寺にかかる月』を、「前奏曲集第2巻に』に『月の光が降り注ぐ謁見のテラス』を見いだすことができます。どれも何と申しますか、あかるく健康的な月ではなくて、どこか陰影を含んだ、あるいは微かな狂気をはらんだ月のように感じられるところが、この作曲家の孤高性、人並外れた矜持と強烈な自己愛を物語っているように思えたのです。
 そこで、もう一つ、はたと気づきました。荒れた寺も、謁見のテラスも、ご近所にございませんでしたために、今夜はお月さまを拝めなかったのかも知れません。
                                      2021年5月26日記