今月はなにかとリヒャルト・シュトラウスにご縁があるらしく、輸入盤ですが、とても生き生きとしたリヒャルトの新譜が届きました。『英雄の生涯』と『ブルレスケ』の2作品を収めたもので、録音データは次の通りです。
R.シュトラウス:
1. 交響詩『英雄の生涯』 TrV 190, Op.40
2. ブルレスケ ニ短調(ピアノと管弦楽のための) TrV 145
ベルトラン・シャマユ(ピアノ:2)
ロベルト・ゴンザレス=モンハス(ヴァイオリン独奏:1)
ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団
アントニオ・パッパーノ(指揮)
録音時期:2018年1月17-20日(1)、2020年10月24,25日(2)
録音場所:ローマ、オーディトリウム・パルコ・デ・ラ・ムジカ
録音方式:ステレオ(デジタル)
『英雄の生涯』はシュトラウスがまだ若い身空でもう書いてしまった、音楽による自伝ですから、彼の生涯といってもまだほんの半生の、その各場面が映画のように鮮やかに描写されています。指揮者のパッパーノはオペラで鍛えた劇的表現力の限りを尽くして、一人の英雄が若くして寵児となり、愛しい伴侶と濃密な愛情も交わし合い、出る釘は打たれるのならいで、批評家たちの酷評の嵐に晒されるも敵たちと果敢に戦いぬき、ついに勝利をおさめて、穏やかな晩年を迎えるまでを、一幅のドラマとして描き出しました。ですから、まるで小説を読むような面白さがございました。
それもたいへん結構でしたが、実はもう1曲の『ブルレスケ』がお値打ちもの。
シュトラウスは『ピアノ協奏曲』と銘打った独奏ピアノとオーケストラの協奏作品を書きませんでしたけれども、この『ブルレスケ』がそれに近い作品となっております。20分弱ほどの、単一楽章作品ですが、リズミックで、起伏に富み、ピアノが奔放に駆け巡って、ティンパニやら金管とやりとりする、瑞々しい1曲です。フランスのピアニスト、シャマユさんという方をこれで初めて聴きましたところ、骨太さと軽快さを併せ持つなかなかの弾き手でした。
録音作品のあまり多くない楽曲だけに、嬉しい新譜の登場でした。こちらがシャマユさん。『ブルレスケ』については、彼に語っていただきましょう。非常に鋭い分析をされておられますので、おおいに興味を掻き立てられます。

【ベルトラン・シャマユ、『ブルレスケ』を語る】
「1949年に亡くなる2年前、シュトラウスはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで最後のコンサートを行いました。そこでほぼ50年前に書かれた『ブルレスケ』が演奏されました。そのタイトルが示すように、シューマンの『謝肉祭』と『フモレスケ』ヘの慈悲深い精神を共有していると感じています。単一楽章で作曲された方法でさえ、驚きの感覚があります。約20分間の作品ですが、協奏曲のようで実際には協奏曲ではなく、どこに行くのかまったくわかりません。ユーモアのセンスだけでなく、不条理な感覚もあります。
シュトラウスは当初、1875年にチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の初演を行ったリストの弟子(および義理の息子)であるピアニストのハンス・フォン・ビューローのために『ブルレスケ』を考案しました。フォン・ビューローは、『ブルレスケ』が技術的に過度に挑戦的で、小さな手を持っていたフォン・ビューローは、すべての小節で手の位置を変えなければならなかったので、演奏不可能ということで演奏を拒否しました(最終的にはリストの高弟であるオイゲン・ダルベールが初演)。実際には、各章節で2、3回変わることがあります。手は、猫のように機敏である必要があります。多分これはすべて驚きの要素だったでしょう。20世紀の作曲家がピアノのために書いた書法によって、この種の技術的要求に私たちを慣れさせてきましたが、『ブルレスケ』は現代のピアニストにとって依然として挑戦的です。モーツァルトは協奏曲をソリストとオーケストラの間の対話と見なしていましたが、ブラームスに到達するまでには、協奏交響曲のようになりました。ブラームスの有名なピアノ協奏曲第1番と同じ、『ブルレスケ』はニ短調です。『ブルレスケ』の精神と形式についても「リスト的」のと思われる何かがあります。おそらくそれは、かなりヒステリックなキャラクターであるソリストとの一種の交響詩として最もよく説明されていますし、狂気にも感じられます。」(輸入元情報)
2021年5月24日記
R.シュトラウス:
1. 交響詩『英雄の生涯』 TrV 190, Op.40
2. ブルレスケ ニ短調(ピアノと管弦楽のための) TrV 145
ベルトラン・シャマユ(ピアノ:2)
ロベルト・ゴンザレス=モンハス(ヴァイオリン独奏:1)
ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団
アントニオ・パッパーノ(指揮)
録音時期:2018年1月17-20日(1)、2020年10月24,25日(2)
録音場所:ローマ、オーディトリウム・パルコ・デ・ラ・ムジカ
録音方式:ステレオ(デジタル)
『英雄の生涯』はシュトラウスがまだ若い身空でもう書いてしまった、音楽による自伝ですから、彼の生涯といってもまだほんの半生の、その各場面が映画のように鮮やかに描写されています。指揮者のパッパーノはオペラで鍛えた劇的表現力の限りを尽くして、一人の英雄が若くして寵児となり、愛しい伴侶と濃密な愛情も交わし合い、出る釘は打たれるのならいで、批評家たちの酷評の嵐に晒されるも敵たちと果敢に戦いぬき、ついに勝利をおさめて、穏やかな晩年を迎えるまでを、一幅のドラマとして描き出しました。ですから、まるで小説を読むような面白さがございました。
それもたいへん結構でしたが、実はもう1曲の『ブルレスケ』がお値打ちもの。
シュトラウスは『ピアノ協奏曲』と銘打った独奏ピアノとオーケストラの協奏作品を書きませんでしたけれども、この『ブルレスケ』がそれに近い作品となっております。20分弱ほどの、単一楽章作品ですが、リズミックで、起伏に富み、ピアノが奔放に駆け巡って、ティンパニやら金管とやりとりする、瑞々しい1曲です。フランスのピアニスト、シャマユさんという方をこれで初めて聴きましたところ、骨太さと軽快さを併せ持つなかなかの弾き手でした。
録音作品のあまり多くない楽曲だけに、嬉しい新譜の登場でした。こちらがシャマユさん。『ブルレスケ』については、彼に語っていただきましょう。非常に鋭い分析をされておられますので、おおいに興味を掻き立てられます。

【ベルトラン・シャマユ、『ブルレスケ』を語る】
「1949年に亡くなる2年前、シュトラウスはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで最後のコンサートを行いました。そこでほぼ50年前に書かれた『ブルレスケ』が演奏されました。そのタイトルが示すように、シューマンの『謝肉祭』と『フモレスケ』ヘの慈悲深い精神を共有していると感じています。単一楽章で作曲された方法でさえ、驚きの感覚があります。約20分間の作品ですが、協奏曲のようで実際には協奏曲ではなく、どこに行くのかまったくわかりません。ユーモアのセンスだけでなく、不条理な感覚もあります。
シュトラウスは当初、1875年にチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の初演を行ったリストの弟子(および義理の息子)であるピアニストのハンス・フォン・ビューローのために『ブルレスケ』を考案しました。フォン・ビューローは、『ブルレスケ』が技術的に過度に挑戦的で、小さな手を持っていたフォン・ビューローは、すべての小節で手の位置を変えなければならなかったので、演奏不可能ということで演奏を拒否しました(最終的にはリストの高弟であるオイゲン・ダルベールが初演)。実際には、各章節で2、3回変わることがあります。手は、猫のように機敏である必要があります。多分これはすべて驚きの要素だったでしょう。20世紀の作曲家がピアノのために書いた書法によって、この種の技術的要求に私たちを慣れさせてきましたが、『ブルレスケ』は現代のピアニストにとって依然として挑戦的です。モーツァルトは協奏曲をソリストとオーケストラの間の対話と見なしていましたが、ブラームスに到達するまでには、協奏交響曲のようになりました。ブラームスの有名なピアノ協奏曲第1番と同じ、『ブルレスケ』はニ短調です。『ブルレスケ』の精神と形式についても「リスト的」のと思われる何かがあります。おそらくそれは、かなりヒステリックなキャラクターであるソリストとの一種の交響詩として最もよく説明されていますし、狂気にも感じられます。」(輸入元情報)
2021年5月24日記
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