今日は「クララ忌」。クララ・シューマン没後125周年記念日です。仏教ですと、50回忌法要から先は、これほど家系が続いて故人を偲ぶ子孫が健在とはめでたいことだといって、お祝い事とするそうですから、125年忌ともなれば、クララを明るく偲ぶ日とさせていただいてよいかと存じます。

クララは晩年の10数年間、リューマチを患って思うようにピアノも弾けず、フランクフルト音楽院の教授職からも退いて、自宅でひっそりと過ごしていましたが、亡くなる前年18952月、長年の友、ヨハネス・ブラームスとヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム、それにブラームスがこの人のために晩年のクラリネット入り室内楽の傑作群を書いた相手、リヒャルト・ミュールフェルトら音楽仲間の来訪を受けて、久々に命の洗濯のような思いを味わいました。

ブラームスは、ミュールフェルトと二人で初演したばかりの2曲のクラリネット・ソナタをクララに聴かせてくれ、そして、もうすぐ本番のあるクラリネット五重奏曲の練習もクララの家でしてくれました。その音楽的刺激は気の滅入りがちだったクララに生気をよみがえらせ、いつしか、ピアノを弾く気分にさせていました。

この時、ヨアヒムのヴィオラ、ミュールフェルトのクラリネットと3人で演奏したモーツァルトの『ケーゲルシュタット・トリオ』が、クララが人前で弾いた最後のピアノとなりました。ケーゲルシュタットとは、ボーリングに似た遊戯で、モーツァルトはこの曲をケーゲルシュタットに興じながら書いた、とされるところからこの愛称がありますが、別の曲のことともいわれます。

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 この絵は、中年頃のクララとヨアヒムの協演しているところを描いたものです。実際、ブラームスの楽器はクララと同じピアノなので、作曲中の楽曲を2台ピアノで試奏することはあっても、ステージで共演する機会はブラームスが指揮にまわるときくらいしかなく、器楽奏者同士としてはヨアヒムとのほうが協演機会が多かったのです。

『ケーゲルシュタット・トリオ』演奏のあとも、作曲家としてのクララはまだ健在で、その後彼女は娘たちの勧めもあって、亡き夫ロベルトの『ペダルフリューゲルのための3つの小品』を2手ピアノ用に編曲しています。これは同年のうちに、ロンドンのノヴェロ社から出版されました。

18963月、クララは脳溢血の発作を起こしました。幸い、いくらか持ち直し、5月7日のブラームス63歳の誕生日を前に、孫フェルディナントに介助されながら、この43年間毎年欠かすことのなかった彼へのお祝いの手紙を書き始めたのですが、途中までしか書くことができませんでした。

その数日後、フェルディナントにロベルトのピアノ曲を弾いてもらっているとき、クララは再び発作に見舞われました。今度の発作は前より大きなものでした。

クララが76歳と8ヶ月でこの世に別れを告げたのは、1896520日、午後421分のことです。亡くなる1年前に、最愛の仲間たちと音楽する至福の時間を持てたことを、クララのために喜びたいと存じます。  
 クララが耳を澄ませたブラームス『クラリネット五重奏曲』を、イギリスの名クラリネット奏者レジナルド・クリフォード・ケルと、ブッシュ四重奏団,1937年の録音でお聴きくださいませ。クララがこの曲を聴いたときからまだ42年ですから、現代の演奏よりは当時の音に近いのではないでしょうか。

Brahms: Clarinet Quintet, Kell & BuschQ (1937) ブラームス クラリネット五重奏曲 ケル&ブッシュ弦楽四重奏団 - Bing video
                                           2021年5月20日記