ベートーヴェンの・ソナタ・シリーズを続けている小平楽友サークル講座、本日はいよいよ、最後の3つのソナタに到達いたしました。皆で鑑賞したのは、ルドルフ・ゼルキンRudlf Serkin(1903.3.28-1991.5.8)の1987年のリサイタル映像でした。ゼルキンは、ときに84歳。ピアノを弾くために生まれてきたような、見事な手の持ち主で、その手を自在に駆使して、たくましさと滋味にあふれた、最後の3つのソナタを聴かせてくださいました。

ゼルキンはボヘミアのエーゲル(現チェコのヘブ)にロシア系ユダヤ人を両親として生まれました。9歳でウィーンに出てピアノを学び、シェーンベルクに作曲を師事。12歳でウィーン交響楽団と共演して神童の誉れをあげます。しかし、そのまま演奏活動に入ることなく、5年間修業に励み、1920年に再デビューしました。
やがて、ドイツの名ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュに認められ彼との室内楽で名声を博し、ブッシュの娘イレーネと結婚します。このご夫妻の間に生まれたのが、昨年2月1日に72歳で亡くなられたピアニストのピーター・ゼルキンです。お父さまが故人なのはいたしかたないとしても、息子さんのピーターさんまで鬼籍に入られたのは当節としてはいかにも早すぎ、惜しんで余りがあります。
さて、父ゼルキンは1933年、ブッシュ弦楽四重奏団との共演でワシントン・デビュー。1936年、トスカニーニ指揮のニューヨーク・フィルと共演します。ナチの台頭に伴ってアメリカに移住、演奏活動と平行してフィラデルフィアのカーティス音楽院の教授を務めます。1952年に岳父のブッシュが亡くなったのちは、再び活発なソロ活動をおこなうとともにマールボロ音楽祭でのマスター・クラスで正統的なドイツ音楽を後進に伝えました。
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスをメイン・レパートリーとした彼は、ドイツ音楽の後継者と目されました。録音には極めて慎重だったため、ベートーヴェンのソナタ全集を完成させることなく世を去られましたが、1987年、ウィーンのリサイタルで最後の3つのソナタを演奏した時のライヴ映像が残されていたことは僥倖でした。
骨太だけれども限りなく温かい、ゼルキンの作品109、作品110、作品111をじっくり聴かせていただき、ベートーヴェンの到達点に皆であらためて感じ入りました。
次回6月2日は、先日の講座では全曲聴くことのできなかったケンプの《ハンマークラヴィーア》へのリクエストがございましたので、その全曲と、1970年ベートーヴェン生誕200年記念年の28歳のバレンボイムで、作品111を映像鑑賞いたします。
鑑賞ご希望の方はどうぞ、会場にお越しくださいませ。西武多摩湖線、青梅街道駅から徒歩5分、小平中央公民館で原則として毎月、第1、第3水曜日の10:00~12:00に開催しております。
2021年5月19日記
コメント
コメント一覧 (2)
理性と抒情の世界に帰ってきたベートーヴェンの姿を思いますね。気のせいか、27番、28番の
世界とシンメトリーを成しているように見えるけど、しかし、大きなトンネルを抜けた後の風景は
やはり確実に深まっている。
ゼルキンの後期三大ソナタは、もう50年近くも前に、友だちの家で聴きました。
友だちのお母さんが急性の心筋梗塞で亡くなった後、お悔やみに行ったら、彼は一人でこれを聴いて
いたので、一緒にもう一度聴きました。
ゼルキンの演奏は、確かにどんな演奏家の演奏よりも、独特の慰藉力というか、何かそんなものが
あったのです。
yukiko3916
が
しました
yukiko3916
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