昨日5月7日はブラームスのお誕生日でした。一見、気難しくて内向的なイメージのヨハネスが、実は緑燃え立つまばゆい季節の生まれとは意外かもしれませんが、彼はおそらく、自分が明るい5月生まれということを密かに嬉しく誇らしく思っていたようです。というのも、彼の歌曲には『5月の夜』op.43-2、『心地よい5月』op.93a-3、といった5月をテーマとしたものがあり、タイトルに「5月」が入っていなくとも、あきらかにこの季節を謳歌する詩をテキストとした曲もいくつか見受けられるからです。
その一つに『わが恋は緑』p.63-5(Junge Lieder I
"Mein Liebe ist grun")がございます。
この曲は、同じp.63の第6曲『にわとこの木に夕風が』(Junge Lieder II "Wenn um den Holunder kost")とともに、フェリックス・シューマンの詩に付曲されました。

フェリックス・シューマンは、ロベルト・シューマンとクララ夫妻の末子で、お父さまのロベルトがライン川に身を投げた1854年2月27日には、クララのおなかの中に育ちつつありました。クララは上に6人の幼い子どもを抱えた妊娠中の身でこの不幸な事件に遭遇し、その事後処理に身も心もくたくたになったはずです。
おなかの中のフェリックスもどれほど、心を痛めたことでしょうか。
彼は6月11日に生まれてきて、シューマン夫妻の敬愛していた故メンデルスゾーンのお名前をいただき、フェリックスと名づけられました。自殺未遂後、療養所に入ってしまった父親はついにそこから出ることなく、2年後に亡くなります。兄弟中で父親にもっともよく似ていると言われたフェリックスは、その父に一度も会ったことはなく、演奏旅行に明け暮れる母から構われることもほとんどありませんでした。
それでも、繊細な感受性を持つ、心やさしい青年に成長してハイデルベルク大学に進学しましたが、1873年9月、結核を病んで家に帰ってきます。
その年のクリスマス、彼のもとに、生まれる前から彼を知り、愛薄き生い立ちに温かいまなざしを注ぎ続けてきたブラームスから送られてきたのが、彼の詩をテキストとする、この2曲の歌曲だったのです。居合わせたヴァイオリニストのヨアヒムが、歌唱部を弾き、母のクララが伴奏ピアノを弾いて彼の眼の前で初演されたときが、この薄幸の若者の生涯最高の幸せな時間でした。
フェリックスはその5年2カ月後の1879年2月16日、結核のため、一番上の姉マリーの腕の中で息を引き取りました。彼の最後の苦しみがひどかったので、マリーは母を呼ばずに一晩中弟を抱きしめて、自分一人で弟を看取ったのです。

父ロベルトとの幸せな時間を最も多く持っていたマリーは、生涯、母クララのそばを離れることなく演奏旅行の付き人とレッスン助手を引き受け、家の中のあらゆる雑務もこなし、弟妹達の支えとなって、家族に奉仕する人生を黙々と歩みました。

13歳のマリーの膝に抱かれているのが赤ちゃんのフェリックス、立っているのが次女エリーゼ、男の子二人はルードヴィヒとフェルディナンド、小さい女の子は四女のオイゲーニエ、三女ユーリエはクララの母宅に預けられていたので写っていません。
最後の5年余りを結核療養所で過ごし、24歳で逝ったフェリックスに、実際の恋の経験はあったのでしょうか。
わたくしは、あってほしかったと、強く思っています。
では、フェリックス・シューマン作詞、ヨハネス・ブラームス作曲『わが恋は緑』をヴァルトラウト・マイヤーの名唱でお聴きくださいませ。
(464) ヴァルトラウト・マイアー 02/24 わが恋は緑 ブラームス 作品63の5 - YouTube
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