昨日はドヴォルザークの愛妻アンナが、実は彼の初恋の人ヨゼファの妹であったお話をいたしました。モーツァルトも大好きなアロイジアとの結婚の夢破れ、つまり、アロイジアに相手にされず、その傷心を慰めてくれた彼女の妹コンスタンツェと結婚していますから、その点ではよく似ていますが、コンスタンツェがアンナのような良妻であったかというとおおいに疑問の残るところでしょう。詳しくは、拙著『モーツァルト』ヤマハミュージックメディア2020年 をご高覧下さいませ。  
 ところで今日はドヴォルザークのお話の続きです。彼の憧れの星、ヨゼファは、資産家のコウニッツ伯爵と結婚してしまいましたが、ドヴォルザーク、アンナ夫妻とは、夫婦単位で仲の良いきょうだいづきあいを続けました。
 ドヴォルザークが別荘を建てたヴィソカー村の土地も、コウニッツ伯爵から譲ってもらったものでした。ヨゼファは今ではドヴォルザークの義姉として、彼を応援してくれていました。アンナも、夫がかつて姉に首ったけだったことを百も承知で、姉に嫉妬するどころか、夫の初恋の思い出をいっしょに大切にしていました。とても仲の良い姉妹だったからです。
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  ドヴォルザークにピアノを習っていた頃のヨゼファとアンナの姉妹。立っているのがヨゼファ。


 1891年、すでに8曲の交響曲も書きあげ、国際的な作曲家となっていたドヴォルザークは、ニューヨークのナショナル音楽院の経営者ジャネット・サーバー夫人から、音楽院の院長として彼を破格の高給で招かれます。ボヘミアを愛する彼は、躊躇ののちついにこの話を受け、1892年9月、摩天楼聳えるニューヨークに第一歩をしるしました。望郷の思いに苦しみながらも、彼は新天地で接した事物の印象をみごと作品に反映させ、交響曲第9番《新世界より》、弦楽四重奏曲《アメリカ》といった傑作を次々と生んでいきました。

 

 滞在3年目の1895年春、《チェロ協奏曲》のペンを走らせていた彼のもとへ、今はコウニッツ伯爵夫人となっているヨゼファから、1通の手紙が届きました。

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             コウニッツ伯爵夫人となったヨゼファ


「親愛なるアントニン、わたしの心臓は不規則に脈打っています。たぶん、もうお会いできないでしょう。今、わたしの人生に残されたものは、あなたの音楽だけでした。あなたの《わたしを一人にして》を耳の奥に聴きながら、わたしは去っていくでしょう」

 ドヴォルザークは驚愕します。歌曲《わたしを一人に》は、かつて彼がヨゼファに捧げた贈り物で、彼女はその曲をとても愛していたのです

 ドヴォルザークは涙をこらえ、作曲中のチェロ協奏曲の第2楽章中間部に、《わたしを一人にして》の旋律を採り入れ、ヨゼファの無事を祈ります。

 

  けれど、彼とアンナがその《チェロ協奏曲》を手土産に、船足よ、もっと速かれ、と故国に戻ったとき、すでにヨゼファはこの世の人ではありませんでした。
 ドヴォルザークとアンナは抱き合って滂沱の涙を流しました。

 
30年前、姉娘への恋に敗れたドヴォルザークは、妹娘のおおらかな愛情に包まれて満ち足りた作曲家人生を歩むことができました。姉とは異なって健康に恵まれたアンナは、かけがえのない宝物も後世にもたらしてくれました。
 彼女が、上の子どもたち3人を立て続けに亡くしたのちに生んだ6人の子どもの一人、オッテリエは、ドヴォルザークの愛弟子スークと結婚し、両親を感涙にむせばせました。スークもチェコを代表する作曲家の一人となり、その息子スークも作曲家として活躍します。そしてそのまた息子、ドヴォルザーク夫妻から見れば曾孫にあたるヨゼフ・スーク(1929~2011)は、20世紀屈指の名ヴァイオリニストとなったのです。

                                  2021年5月2日記