ところで今日はドヴォルザークのお話の続きです。彼の憧れの星、ヨゼファは、資産家のコウニッツ伯爵と結婚してしまいましたが、ドヴォルザーク、アンナ夫妻とは、夫婦単位で仲の良いきょうだいづきあいを続けました。
ドヴォルザークが別荘を建てたヴィソカー村の土地も、コウニッツ伯爵から譲ってもらったものでした。ヨゼファは今ではドヴォルザークの義姉として、彼を応援してくれていました。アンナも、夫がかつて姉に首ったけだったことを百も承知で、姉に嫉妬するどころか、夫の初恋の思い出をいっしょに大切にしていました。とても仲の良い姉妹だったからです。 ドヴォルザークにピアノを習っていた頃のヨゼファとアンナの姉妹。立っているのがヨゼファ。
1891年、すでに8曲の交響曲も書きあげ、国際的な作曲家となっていたドヴォルザークは、ニューヨークのナショナル音楽院の経営者ジャネット・サーバー夫人から、音楽院の院長として彼を破格の高給で招かれます。ボヘミアを愛する彼は、躊躇ののちついにこの話を受け、1892年9月、摩天楼聳えるニューヨークに第一歩をしるしました。望郷の思いに苦しみながらも、彼は新天地で接した事物の印象をみごと作品に反映させ、交響曲第9番《新世界より》、弦楽四重奏曲《アメリカ》といった傑作を次々と生んでいきました。
滞在3年目の1895年春、《チェロ協奏曲》のペンを走らせていた彼のもとへ、今はコウニッツ伯爵夫人となっているヨゼファから、1通の手紙が届きました。

「親愛なるアントニン、わたしの心臓は不規則に脈打っています。たぶん、もうお会いできないでしょう。今、わたしの人生に残されたものは、あなたの音楽だけでした。あなたの《わたしを一人にして》を耳の奥に聴きながら、わたしは去っていくでしょう」
ドヴォルザークは驚愕します。歌曲《わたしを一人に》は、かつて彼がヨゼファに捧げた贈り物で、彼女はその曲をとても愛していたのです
ドヴォルザークは涙をこらえ、作曲中のチェロ協奏曲の第2楽章中間部に、《わたしを一人にして》の旋律を採り入れ、ヨゼファの無事を祈ります。
けれど、彼とアンナがその《チェロ協奏曲》を手土産に、船足よ、もっと速かれ、と故国に戻ったとき、すでにヨゼファはこの世の人ではありませんでした。
ドヴォルザークとアンナは抱き合って滂沱の涙を流しました。
30年前、姉娘への恋に敗れたドヴォルザークは、妹娘のおおらかな愛情に包まれて満ち足りた作曲家人生を歩むことができました。姉とは異なって健康に恵まれたアンナは、かけがえのない宝物も後世にもたらしてくれました。
彼女が、上の子どもたち3人を立て続けに亡くしたのちに生んだ6人の子どもの一人、オッテリエは、ドヴォルザークの愛弟子スークと結婚し、両親を感涙にむせばせました。スークもチェコを代表する作曲家の一人となり、その息子スークも作曲家として活躍します。そしてそのまた息子、ドヴォルザーク夫妻から見れば曾孫にあたるヨゼフ・スーク(1929~2011)は、20世紀屈指の名ヴァイオリニストとなったのです。
2021年5月2日記

コメント
コメント一覧 (2)
命日から始まった記事がこのように発展していくのはさすがに物語巧者、萩谷さんの面目躍如です。
チェロ協奏曲については、ご指摘の第2楽章中間部とともに、一旦完成した後ヨゼファの死を悼んで作曲者が全面的に書き換えたという第3楽章の終結部も感動的です。
最初この曲を聴いたとき、チェロと独奏ヴァイオリンが双蝶の舞のようなデュエットを奏で盛り上がった頂点で、オーケストラが急に静まるのが不思議でなりませんでした。その後、アンダンテの長いコーダに込められたドヴォルザークの思いを知り、心を打たれました。
延々と続くチェロの低声のモノローグは作曲家の深い慟哭をあらわし、独奏ヴァイオリンにより故人の愛唱曲「わたしを一人にして」が引用された後、チェロが高音のトリルに達すると第一楽章の冒頭がなつかしく回想され、次第に下降し穏やかになっていくチェロが、最後に、安らかな昇天をあらわすかのように高く飛翔し、オーケストラの全奏トリルの高まりのなか力強く結ばれる、これほど人間の心の動きに寄り添った切実な音楽はなく、聴くたびに涙を禁じえません。
若き日のロストロポーヴィッチは、ドヴォルザークを直接知りチェロ協奏曲にも精通している大指揮者ターリッヒから、「教えてください、マエストロ。私にすべてを。」とこの曲の神髄を懸命に学び取ったといいます。こうして遺された二人の協演は見事なもので、私のかけがえのない愛聴盤です。
ブログの美しい物語に触発され、ついつい長文になってしまいました。
これからも、音楽史の谷間に咲く素敵なエピソードを発掘、ご紹介いただくのを楽しみにしています。ご健筆をお祈りします。
yukiko3916
が
しました
おつしゃるように、もうずーっと長いこと、ヨゼファとアンナのチェルマーコヴァー姉妹とドヴォルザークとの実話は音楽史上最も感動的なものの一つだと思い、チェロ協奏曲を聴くたびに涙してまいりました。
書きそびれた第3楽章終結部のことも補足してくださり、ありがとうございます。
ブログにこの話を書き、さらに、このような心からなるご共感コメントと貴重な補足を戴けましたことで、わたくし自身の中でも、この逸話が一つ、高みに登った気がいたします。登場人物たちが、いとおしくてたまりません。
yukiko3916
が
しました