先日、青柳いづみこさんからピアノと朗読を担当された『物語』なる最新アルバムをいただきました。昨晩はそのライヴ・コンサートを石橋メモリアルホールで拝聴しましたところ、ライヴならではの臨場感を通じて『物語』の面白さを二度味わうことができました。
曲目は、青柳さん独奏によるイベールの『物語』10曲。青柳さんが朗読ばかりか、ピアノの高音部を担当して高橋悠治さんと連弾なさったフローラン・シュミットの『眠りの精の一週間』、お二人の連弾によるラヴェル『マ・メール・ロワ』、そして、ダリウス・ミヨーの『ボヴァリー夫人のアルバム』でした。
最後の『ボヴァリー夫人のアルバム』はたいへん珍しい作品で、かのギュスーヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』から啓示を受けた、ミヨー夫妻の合作になる、朗読付きの17曲からなる抄編音楽物語です。台本は、ミヨーの妻で女優でもあったマドレーヌが書き下ろしたものです。彼女は原作小説から自由に場面を選んで、自身の言葉でポエム・タッチの台本を起こし、それを原作のストーリー順ではなく、順不同に構成しました。そしてそのそれぞれの場面の朗読のあとに、旦那様のミヨーによる洒脱なピアノ小品が演奏される、という仕組みです。
マドレーヌ夫人の台本を、響きよく、原意を損なわない,美しい日本語に翻訳されたのは、高橋さんで、それにさらにご注文をおつけになり、より日本語朗読にふさわしいように練り上げられたのが青柳さんだそうです。青柳さんの朗読、高橋さんのピアノともども、CDでは何度も拝聴しておりましたけども、実演の面白さはその比ではなく、ヒロイン、エマの満たされない思いと、道を踏み外した果てに幸せにはなれず、この世から消えていく運命というものが、そこはかとない悲劇性をもって柔らかく伝わってきました。青柳さんの朗読は、語り手の客観性とヒロインの心情に沿うある種の主観性が絶妙のバランスを保っているのでとても聴きやすく、高橋さんのピアノの音は思いがけないほどピュアで清新で余計なことは語らず、この作品にぴったりでした。
ところで、『マ・メール・ロワ』の第3曲『パゴタの女王レドロネット』の途中、ピアノのセコンドがあの中国的なサビを奏でる直前に、パーンと音がして、ピアノの弦が切れたのです。青柳さんはちょっといたずらっぽい笑顔になられ、ピアノの中をご覧になりたそうでしたが、ぐっと我慢。高橋さんはまったく動じることなく、あの中国旋律をお弾きになって、曲が中断されることはありませんでした。
ですから、「ボヴァリー夫人のアルバム」は1本、弦の足りないピアノで奏されたことになります。先ほど、青柳さんから次のようなメールをいただきました。
「左右の手の素早い交替のところで、ああいうまっすぐなタッチは弦が切れやすいです。前に切れたのは、1990年、芸術祭賞をいただいた公演の折でした。その時は張り替えましたが。。。まぁ、切れた弦ではミヨーの連弾は弾けないので、アンコールなしでお開きにしました」
曲目は、青柳さん独奏によるイベールの『物語』10曲。青柳さんが朗読ばかりか、ピアノの高音部を担当して高橋悠治さんと連弾なさったフローラン・シュミットの『眠りの精の一週間』、お二人の連弾によるラヴェル『マ・メール・ロワ』、そして、ダリウス・ミヨーの『ボヴァリー夫人のアルバム』でした。
最後の『ボヴァリー夫人のアルバム』はたいへん珍しい作品で、かのギュスーヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』から啓示を受けた、ミヨー夫妻の合作になる、朗読付きの17曲からなる抄編音楽物語です。台本は、ミヨーの妻で女優でもあったマドレーヌが書き下ろしたものです。彼女は原作小説から自由に場面を選んで、自身の言葉でポエム・タッチの台本を起こし、それを原作のストーリー順ではなく、順不同に構成しました。そしてそのそれぞれの場面の朗読のあとに、旦那様のミヨーによる洒脱なピアノ小品が演奏される、という仕組みです。
マドレーヌ夫人の台本を、響きよく、原意を損なわない,美しい日本語に翻訳されたのは、高橋さんで、それにさらにご注文をおつけになり、より日本語朗読にふさわしいように練り上げられたのが青柳さんだそうです。青柳さんの朗読、高橋さんのピアノともども、CDでは何度も拝聴しておりましたけども、実演の面白さはその比ではなく、ヒロイン、エマの満たされない思いと、道を踏み外した果てに幸せにはなれず、この世から消えていく運命というものが、そこはかとない悲劇性をもって柔らかく伝わってきました。青柳さんの朗読は、語り手の客観性とヒロインの心情に沿うある種の主観性が絶妙のバランスを保っているのでとても聴きやすく、高橋さんのピアノの音は思いがけないほどピュアで清新で余計なことは語らず、この作品にぴったりでした。
ところで、『マ・メール・ロワ』の第3曲『パゴタの女王レドロネット』の途中、ピアノのセコンドがあの中国的なサビを奏でる直前に、パーンと音がして、ピアノの弦が切れたのです。青柳さんはちょっといたずらっぽい笑顔になられ、ピアノの中をご覧になりたそうでしたが、ぐっと我慢。高橋さんはまったく動じることなく、あの中国旋律をお弾きになって、曲が中断されることはありませんでした。
ですから、「ボヴァリー夫人のアルバム」は1本、弦の足りないピアノで奏されたことになります。先ほど、青柳さんから次のようなメールをいただきました。
「左右の手の素早い交替のところで、ああいうまっすぐなタッチは弦が切れやすいです。前に切れたのは、1990年、芸術祭賞をいただいた公演の折でした。その時は張り替えましたが。。。まぁ、切れた弦ではミヨーの連弾は弾けないので、アンコールなしでお開きにしました」
というわけで、アンコールなしでしたが、本編だけで充分楽しませていただきました。
2021年4月14日記

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