庭に咲いた白のハナミズキを先生に。
尾高惇忠先生、綾子奥様ご夫妻とは、もうずいぶん前の日比谷公会堂での音楽会の帰りに、綾子奥様からなぜかお声をかけていただき、先生にご紹介していただいて以来の細々としたお付き合いがございました。綾子奥様のメゾソプラノ・リサイタルは欠かさず聴かせていただき、そこで初演される先生の新作歌曲にいつも感嘆しておりました。また、先生の藝大定年退官の記念会にも出席させていただいた思い出がございます。最後にお目にかかったのは2019年でしたか、清水和音さんが3大協奏曲をお弾きになられたコンサートの和音さんの楽屋でのことでした。そのとき、先生の音楽による美智子上皇后さまのDVDのお話を伺ったのを覚えております。とてもお元気でしたのに、それから2年後のご逝去は、
悲しんで余りがございます。

堀先生が送ってくださった記事を添付いたします。朝日の吉田純子さんの文章も、堀先生撮影のお写真も、まことによく、尾高惇忠先生の人となりを映し出していると存じます。
うまく拡大できませんでしたので、追悼の意を込め、全文を書き起こさせていただきます。
【惜別】 作曲家 尾高惇忠さん 2月16日死去 76歳
美しく、心動かす響き 模索
同名の曽祖父は渋沢栄一のいとこで実業家だった。朗らかで開放的な性分は血筋だが、温厚で丸っこい笑顔の下に、喝采を狙った曲は書きたくないという誇り高き含羞を秘めていた。
4年間のパリ留学中に、オルガン奏者でもあった巨匠モーリス・デュリュフレに師事、フランス音楽の伝統に連なる、真の知性と洗練を血肉にする。
音楽は、たとえ実験的な作品でも、美しさで人の心を動かすものでなくてはいけないと、弟子で指揮者の広上淳一さんに説いた。「外からの評価に揺るがぬ胆力と、不器用であり続ける勇気をいただいた」
自身への厳しさゆえ、曲を完成されることにも慎重だった。
東京芸大での指導が本領発揮の場となった。様々な旋律の下に、アルト、テノール、バスの3声部を加える学生向けの課題にみずから夢中になり、よりよい響きを飽かず模索し続けた。
2011年の交響曲『時の彼方へ』の成功が転機となる。旋律を重ね、重層的なハーモニーの伽藍を築いてゆくフーガで、生命体のような豊穣な音響空間を実現した。これでやっと心の赴くままに作曲する古都を自身に許したように、弟子で指揮者の堀俊輔さんには見えた。湧き出る楽想と磨き抜かれた書法がごく自然に手を結び、曲がどんどん生まれ始めた。
そんなさなかの昨年2月、進行したがんが見つかった。命の限界に挑むかのように、酸素吸入器を付けてピアノに向かい、作曲を続けた。容態が悪化しても五線紙から離れなかった。緊急入院から1カ月で旅立った。
病の床で書いたチェロ協奏曲は死の17日後、札幌で初演された。6月には京都市交響楽団が広上さんの指揮でバイオリン協奏曲を初演する。最期の心を幸福で満たしていた響きを、これから弟子たちが世に放ち、未来の聴衆へと届けてゆく。(編集委員・吉田純子)
今年の大河ドラマの主人公を曾祖父とされ、ご同名の実業家もまた曾祖父である先生を、この記事を通じて心より偲ばせていただきます。
2021年4月13日記

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