◎芥川也寸志:弦楽のための三楽章《トリプティーク》
大正初期から昭和初年にかけて文壇を席巻した小説家、芥川龍之介(1892-1927)の三男、芥川也寸志(1925-1989)は幼い時から父の遺品のSPレコードを聴いて育ちました。お気に入りはストラヴィンスキーの《火の鳥》や《ペトルーシュカ》で、幼稚園時代はそれらの旋律を口ずさんでいたといいます。1943年に東京音楽学校に入学しますが、時代は戦時下、翌年に学徒動員されて陸軍の軍楽隊に所属しました。終戦後東京音楽学校に復学、1947年に同校本科を首席卒業して作曲活動を開始し、リズミックで力強い作風によって評価を確立します。本作は、当時NHK交響楽団の指揮者として滞日していたクルト・ヴェスの依頼により1953年に作曲された弦楽合奏曲で、同年12月にニューヨークのカーネギー・ホールで初演されて成功を収めました。芥川はその後1954~55年にソヴィエト連邦を訪問した際にこの曲を携えていき、同国でニコライ・アノーソフの指揮で演奏機会を得たところ、それが大好評を博したためワルシャワ音楽賞を受賞、1956年にはソ連国立音楽出版から楽譜が出版されるに至りました。「三連画」の意の《トリプティーク》という別称はポーランド出身の作曲家、タンスマン(1897-1986)の同名作からとられたもので、3つの楽章が互いに関連しあう3点の絵画のような性格を持つことから名づけられました。
◎プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26
セルゲイ・プロコフィエフは(1891-1953)の5曲のピアノ協奏曲の中でも人気の高いこの第3番は1917年のロシア革命前に着想されたのですが、革命の大激震の中で作曲は中断されてしまいます。革命政権を嫌った彼は翌1918年に外国行きを申請し、この曲の草稿も荷物に加えてシベリア横断列車で東に向かい、ウラジオストクからまず日本に渡りました。6月1日に横浜港に入港した客船の船客名簿に彼の名を発見した日本の音楽関係者は彼のリサイタルをお膳立てしましたが、残念ながら聴衆はわずかでした。2か月間の日本滞在を経た8月2日、彼はアメリカへと去ります。その後、各国を遍歴する落ち着かない日々の中で本作の作曲は頓挫し、再開されたのは1921年夏のフランス滞在中のことでした。同年9月28日に完成した曲は、12月16日にシカゴで彼自身によって初演されました。こうした成立経緯があるため、この曲の第3楽章には彼が日本で接した長唄《越後獅子》の旋律が用いられている、とみる説もあります。この説は実証されてはいませんが、この曲の第3楽章にはたしかに日本風の旋法を聴きとることができます。
◎シベリウス:交響曲第6番ニ短調 作品104
深い森と大小さまざまな湖沼を抱くフィンランドは北欧3国のうちもっとも東に位置し、東の国境線をロシアと接しています。この国の生んだ最初の国際的作曲家がジャン・シベリウス(1865-1957)です。交響曲第6番は1914年秋に前後する第5番、第7番とほぼ同時に着想されたのですが、まずは第5番に全力が注がれたため、こちらの本格的着手は遅れます。また、折からの第1次大戦による社会不安の影響から作曲は一時中断されました。しかし、1918年にフィンランドがロシアから独立を果たすと彼の創作環境も落ち着き、1922年秋または1923年1月についに完成を見ることができました。
本作は一応ニ短調を主調としますが、教会旋法という、中世・ルネサンス期の教会音楽に用いられた旋法のうちのドリア調(「レミファソラシドレ」という音階)とリディア調(「ファソラシドレミファ」という音階)が使用されていて、それが曲に独特の陰影を与えています。
◎シベリウス:交響詩《フィンランディア》作品26
シベリウスが1899年に発表した交響詩《フィンランディア》は、当時ロシアの圧政下にあったフィンランドの人々を勇気づけ、国民精神を鼓舞するために書かれたもので、随所にそのメッセージを容易に聴きとれます。そのため、翌年に発表されるや国民から圧倒的な支持を得て盛んに演奏されました。ロシア政府は演奏を禁止しましたが、国民はひるまず、タイトルを変え弾圧の目をかいくぐって各地で演奏し続けました。ヨーロッパ各国もこの曲を歓迎することでフィンランド独立を支持しました。こうして1917年、フィンランドは遂に独立を勝ち取ったのです。曲は重苦しいうめきのような序奏から始まります。ハ短調、アレグロ・モデラートの序奏後半部に入るとティンパニのリズムにのった金管楽器が緊迫感を高めていき、シンバルが敵との激しい闘争を暗示します。次いで変イ長調の誇らかな主部となり、その中間部に、のちにコーラス曲にも編曲された美しい〈フィンランド賛歌〉が奏され、最後は勝利を謳歌して結ばれます。
このように、多岐に亘るレパートリーでしたが、4曲は20世紀前夜の1899年から世紀半ばをほんの少し過ぎた1953年という、比較的短い時間枠中で書かれたもので、20世紀前半という、勢いのある時代の鏡のような選曲でした。
そのみずみずしいエネルギーが大友マエストロとニューシティ管のスタイリッシュな演奏から、ピンピンと伝わってきました。『トリプティーク』では、推進力に満ちた両端楽章と柔和な第2楽章との対比感が明瞭に打ち出されつつ、全体でひとつの完結性を持つこともしっかりと伝えられていました。
清水和音さんのプロコフィエフがこれまた胸のすく快演。カーテンコールに応えてピアノの椅子に坐られるや、まるで居合抜きの名人のように、間髪を入れずにさっと弾き始められたのは『3つのオレンジへの恋~行進曲』。この曲はヴァイオリンで聴くことの方が多く、ピアノ独奏版はかえって珍しく、とても新鮮に感じながら、和音さんらしい切れ味のよさを堪能いたしました。
シベリウスの2曲では、先に教会旋法による静謐な6番を演奏し、勝利の賛歌『フィンランディア』をあとに持ってきたのは大正解。本国フィンランドでは必ず、最後が『フィンランディア』なのだそうです。
ニューシティ管、執行恒宏コンマスや管楽器のソロの方たち、技術レベルも高く、大友マエストロとの相性もよく、気合の入った演奏でした。
2021年4月11日記

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