1806年1月3日、ドイツのコブレンツに生まれたヘンリエッテ・ゾンタークさまは15歳でデビュー、1824年5月7日には、18歳の若さでベートーヴェンの『交響曲第9番』の初演ソリストを務めた名ソプラノでした。
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 しかもこの日は、「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」の抜粋演奏ではありましたが、同じ出演者たちによる『ミサ・ソレムニス』のウィーン初演もおこなわれましたので、ゾンターク嬢を含むソリストと合唱はこちらも歌ったのです。ニ長調の『ミサ・ソレムニス』とニ短調の第九は作曲時期も重なり、編成もオーケストラに独唱者4名、合唱という器楽と声楽の一大コラボレーション。まさに双子の兄弟のようなベートーヴェン晩年の双璧です。その重要作2作の初演の大役を果たした18歳の歌姫は、その後、各地でさまざまなオペラに出演して声価を高め、ことにロッシーニ『セビリヤの理髪師』のロジーナ役で一世を風靡しました。
 肖像画をご覧いただければおわかりのような愛らしい容姿に加え、天性の甘美で華やかな声質ときめ細やかな表現力を持っておられたそうで、その人気たるや、伝説的名ソプラノ、アンジェリカ・カタラーニを凌ぐほどだったと言います。 
 1827年にはパリのセレブ達の集う高級劇場、イタリア座と契約して専属歌手となり、翌年にはカルロ・ロッシ伯爵に見初められて、伯爵夫人となりますが、演奏活動は引き続き継続なさいました。 
 1852年にはアメリカ演奏旅行を成功させ、1854年に今度ははメキシコシティーのイタリアオペラ劇場から招かれて同地に赴き、メキシコ国歌の創唱の栄誉も担い、ロッシーニ『オテロ』のデズデモーナで、メキシコの聴衆の声涙を絞りました。
 それなのに、ああ、なんということでしょう、折あしく、このときメキシコには感染症が流行していたのです。ウイルスにとっては、とりつく相手が美貌であろうとなかろうと、歌がうまかろうとそうでなかろうと、伯爵夫人であろうと庶民の娘であろうとそんなことは全く関係ありません。
 ベートーヴェンの第九の、あの高音続きの至難のソプラノ・パートを華やかに歌い上げて初演を成功に導いた、この19世紀屈指の名ソプラノが、異郷メキシコの地で、おいたわしくも、コレラに命を奪われたのは、1854年1月17日のことでした。
 昨日が167回目の御命日でしたので、追悼記事を書かせていただこうと心づもりしておりましたのに、明後日1月20日に小平で開催できることになった、Beethoven連続講座の準備に気を取られ、一日、遅くなってしまいました。
 申し訳ございませんでした! 美しきゾンタークさま。
 20日の講座では、あなたさまがウィーン初演ソリストをお務めになられた『ミサ・ソレムニス』を採り上げますので、20世紀の名ソプラノ、アンナ・トモワ=シントウさまの歌声にあなたさまの幻のお声を重ね合わせながら、ご冥福を祈らせていただきます。
 憎むべき人類の敵、感染症。歌に生きたがゆえにその犠牲となられたあなた様の尊い死を無駄にしないためにも、拡大防止と撲滅のために、できることをひとつづつ、積み重ねていきたいと存じます。
                                          2021年1月18日記