カウント・ダウン2日目の今日は、ちょっとめずらしいだけではなく、非常に感動的な、ベートーヴェン関連楽曲をご紹介いたします。
1827年3月26日にベートーヴェンが没したあと、ボン大学で音楽学を講じるブレイデンシュタイン教授は、偉大な作曲家の業績を顕彰し、若い人たちの目を音楽芸術に向けさせるために、生地ボンにベートーヴェンの記念碑を建てるべきである、との論文を発表しました。

このとき、男気?侠気?を見せたのは、少年時代の師匠ツェルニーを介してベートーヴェンの孫弟子にあたるフランツ・リストでした。
気っぷのいい彼は各地で盛んに演奏会を開いてその莫大な収益を協会に寄せるとともに、音楽家仲間にもこの計画への参加を呼び掛けました。これに応えて、シューマンがベートーヴェンへのピアノ・ソナタ第28番や連作歌曲『遥かなる恋人へ』を踏まえたオマージュ作品『幻想曲ハ長調』を書き、その出版収益を寄せたことはよく知られています。
何といっても、記念碑建立の大半の費用負担を引き受けたのはリストでした。しかも、除幕式開催の1カ月前になって、予測される3,000人の列席者を収容できるホールがないことがわかって大騒ぎになったときも、「では、わたしが全額費用を持ちますから、急遽『ベートーヴェン・ハレ』(ホール)を建てましょう」と申し出、事実、そのようにしました。工事はボンや近隣の大工さん総動員、24時間体制の昼夜分かたぬものだったということで、まるで、忠臣蔵の畳替えです。
このような紆余曲折の末、1845年8月10日からベートーヴェン祭が始まり、3日目の12日に除幕式がおこなわれて、この日はベートーヴェンのミサ曲ハ長調が演奏され、翌13日に、リストがこの晴れの日のために作曲した『ボン・ベートーヴェン記念碑除幕式のための祝祭カンタータ』が響き渡りました。というと、きこえがよいのですが、到着の遅れた来賓の王侯貴族たちのために、二度も演奏しなければならなかったそうですから、混乱はずっと続いていたことが窺えます。そのあと、ベートーヴェンの『エグモント』序曲、『フィデリオ』からのアリアなどが演奏されて、コンサートは延々4時間も続きました。
ともあれ、リストの大奮闘のおかげで、ベートーヴェン記念碑は今もボンのミュンスター広場で、この町を訪れる人たちを迎えています。
というわけで、今日ご紹介したい楽曲は、記念碑建立の大功労者リストが除幕式のために書いた『ボン・ベートーヴェン記念碑除幕式のための祝祭カンタータ』なのです。
この曲のどこが感動的なのかと申しますと、第4楽章のアンダンテ・レリジオーソ-アレグロ・コンブリオがまことに胸を打つ音楽となっているのです。というのも、どなたもこの楽章をお聴きになれば「あれっ、ベートーヴェンだ!」と叫ばれることでしょうが、これはベートーヴェンの『大公』トリオ作品97の緩徐楽章「アンダンテ・カンタービレ」に歌詞を後付けしたパラフレーズ作品なのです。歌詞の作者は、イェーナの文学者オスカー・ベルンハルト・ヴォルフ(1799~1851)という人で、ベートーヴェンを「夜に覆い隠されることのない人、日々の嘲笑に惑わされることのない人、人類と神を一つに結び付ける人、神がその額に王冠を捧げる人……」と讃えて、最後に「万歳!万歳!ベートーヴェン、万歳!」と誇らかに結んでいます。
あの『大公』第3楽章の至福の旋律にのせて、このわかりやすい歌詞が歌われるところをご想像ください。なんだか、胸がきゅんとなりますでしょう。

録音作品はあまり多くないようですが、わたくしは、ブルーノ・ヴァイル指揮、WDRカペラコロニエンシスが2000年に録音したこの盤(ドイツ・ハルモニア・ムンディ、BVCD-31005)を愛聴しております。カンタータですから、オーケストラ、合唱、ソプラノ、テノール、バスの3人の声楽ソリストが演奏していて、ソプラノのソリストは今や世界の歌姫となっているディアナ・ダムラウです。 2020年12月30日記
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