ベートーヴェン生誕250年というまたとない記念年に、いかなる巡り合わせか、世界的パンデミックが起こりました。感染症拡大防止のために不急不要の外出や催し物開催の自粛が求められ、クラシック音楽のコンサートはその不急不要のものの筆頭格、と見なされて、膨大な数の公演が中止、または延期を余儀なくされました。せっかくの記念年に何という無念なこと、と当初は思いましたが、今は、ベートーヴェンの記念年だからこそ、この危機に立ち向かえたのだ、と痛感しております。
というのも、秋口以降、演奏会が少しずつ復活していて、その多くが「ベートーヴェン生誕250年記念」と銘打たれた企画であることに気づいたからです。特にこの師走は、主催者、出演者らが何とか第九の伝統をまもろうと、ありとあらゆる感染防止対策を講じ、ソリストも合唱もマクス装着で歌うという困難にまで耐えて、第九演奏会を盛んに開催しました。他にも、南紫音さん、徳永二男さんらがヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を、横山幸雄さん、仲道郁代さん、イリーナ・メジューエワさんらがピアノ・ソナタ全曲演奏会、あるいはその一部を開催なさいました。
こうして、これほどまでに生の音楽鑑賞機会が復活したのも、関係者のベートーヴェン記念年に寄せた熱い思いがあったからではなかったでしょうか。今年がベートーヴェンの記念年だったがゆえに、音楽関係者一丸となって演奏会の灯を絶やすまいと奮闘したように思えてなりません。
ベートーヴェン強し!!
わたくしも、ささやかな仕事ながら、今年1年間、クラシカジャパンに毎月「ベートーヴェンを取り巻く12人の音楽家たち」を連載させていただいてまいりました。12人目をどなたにしようか迷っているところですと、前に書かせていただきましたが、最後の一人として、グスタフ・マーラー氏にご登場いただきました。ご自身、今年が生誕160年にあたったこの方も、ベートーヴェンと意外なつながりがあります。
ベートーヴェンを取り巻く12人の音楽家たち 文・萩谷由喜子~第12回ベートーヴェンとマーラー | CLASSICA JAPAN (classica-jp.com)
ご笑覧いただけましたら嬉しく存じます。
2020年12月29日記

コメント
コメント一覧 (4)
マーラーが立派なのは、まず単にベートーヴェンを聴いて評するのではなくそれを演奏する、そしてそこから得られたものを未来へと継承すべく、自ら作曲しつつ追体験していくことではないでしょうか。「わたしがわたしをマーラーと認めた最初の作品」いい言葉ですね。
こういう気持ちの中で、彼のベートーヴェンへのオマージュは醸成されていくんですね。
ベートーヴェンの偉大さを聴衆に、その時の“現代”により良く理解させるべく、いわば一つの方便や翻訳のようなものとして、編曲や演出を試みる。同じ作曲家ならではの試みですね。
誰にでもできることではありません。あたかも優れた落語家が名だたる古典にも、独自の枕や語り口で新たな彩りを与えるように、ベートーヴェンをも自分というレンズを通してそれから責任をもって聴衆に伝える。こうした姿勢は今ではロマン派的といって敬遠されますが、どうでしょう。(つづく)
yukiko3916
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指揮者という立場は、きっと演奏者や総合プロデューサーという面もあるようで、『フィデリオ』第二幕第二場での『レオノーレ3番』の演奏はその典型ですね。ドラマの盛り上げ方を熟知している。この手法はフルトヴェングラーなども継承していますが、まさに作曲の感覚のある者ならではの判断。あくまで作曲者自身が“今”に生きていたならという視点に立った、作曲者の身になった、ある種の責任感なのだと思われます。(つづく)
yukiko3916
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コロナ禍の一年、萩谷さんにおかれましても、まことにお疲れ様でした。
マスクをかけようと、聴衆が半減しようと、“魂より出づ。願わくは魂へと至らんことを!”
来年も又音楽のpacem(平和)に満たされた一年でありますように。
yukiko3916
が
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浅薄で、皮相的な、思い付きの列記に過ぎない拙文をここまで深く読み解きいただき、かつ、内容を普遍にまで高めていただきまして、ありがとうございます。汗顔の至りながら、仰瞰vs俯瞰 というアントニムも、初めて気づきました。今後とも、ご教示のほど、よろしくお願いいたします。
yukiko3916
が
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