12月16日は、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのお誕生日と推定される日です。生まれた年は1770年ですから、ベートーヴェンは本日、めでたく250歳のお誕生日を迎えました。
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 この写真は、今年のわたくしの誕生日9月9日に友人から贈られたベートーヴェンの木枠入りフォトタイル肖像画で、原画は、彼の数ある肖像画の中でも断然よく知られているものです。有名すぎるかも知れませんが、わたくしはこれが大好きなので、プレゼントしていただいた時は本当に嬉しく思い、早速音楽室に飾りました。 
 描いた画家は、1820年から55年までバイエルン国王の宮廷画家を務めたマインツ生まれの肖像画家ヨーゼフ・カール・シュティーラー(Joseph Karl Stieler 17811858)という名手です。ベートーヴェンは右手にペンを、左手に楽譜を持ち、鋭い目つきで斜め前方を見据えています。この絵から伝わってくるのは、苦悩を乗り越えた楽聖ベートーヴェンの創作への激しい希求と情熱、ひとたび曲を書き始めたらどんなことがあろうともそれを全うせずにはおかない強い意志の力と集中力でしょうか。
 それはまさに、存命中から名声が高まり始め、死後、急速に神格化されたベートーヴェン像そのものです。もちろん、実際の顔だちの欠点は修正され、長所が誇張されたことは明らかですが、聡明そうな額といい、眼光鋭いまなざしといい、真一文字に結んだ口元といい、見る者にたいへん好もしい印象を与えます。

フリルつきのロココ調のドレスシャツではなく、開襟シャツの胸元に赤いスカーフを緩く結んだ服装は一時代前の音楽家とは異なって、彼が新しい時代の音楽家であることを物語っています。バッハ、ハイドン、モーツァルトらの肖像画では当然のお約束事だったかつらをつけることなく、自前の毛髪を波打たせているところも、宮廷や貴族の雇われ音楽家ではなく、自主独立の音楽家ベートーヴェンを感じさせます。

 この絵が描かれた181920年当時、ベートーヴェンは4849歳。甥カールの親権をその実母と争う不毛の裁判に消耗されつつ、ピアノと作曲の愛弟子にして最大のパトロン、ルドルフ大公がオルミュッツ大僧正に就任決定した祝賀用として、『ミサ・ソレムニス』を書き進めていた時期でした。

 しかし、『ミサ・ソレムニス』の完成は大幅に遅れます。そのため、あてにしていた出版料を手にできず経済苦境に立たされたベートーヴェンに、出版社にかわって出版料を前払いしてくれたのは、フランクフルトの豪商フランツ・ブレンターノでした。この人の妻アントーニエは、ベートーヴェン没後に発見された宛名不明の恋文「不滅の恋人への手紙」の有力相手候補の一人と目される女性です。
 この絵は、そのブレンターノ夫妻の依頼によって描かれました。つまり、ブレンターノはベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』創作にあたってのパトロン役を買って出たばかりではなく、自分たちの尊敬する音楽家の創作に勤しむ精悍な姿を永く後世に残したいと考えて、シュティーラーに肖像画制作を依頼したのでした。ブレンターノ夫妻も1808年にシュティーラーに肖像画を描いてもらったことがあり、シュティーラーがいかに達者な肖像画家であるかをよく知っていたので、安心してベートーヴェンの肖像画も依頼したのです。 

 製作にあたって、シュティーラーが実際にベートーヴェンにモデルになってもらったことは、ベートーヴェンの会話帳から知ることができます。

 ベートーヴェンは4回にわたって画家のためにポーズをとり、いわれるままに、ペンと楽譜を構え、右斜め前方をにらみました。このポーズは彼が湧きだしてくる楽想を捉えようとしているところを表します。

左手の楽譜の表紙には『ミサ・ソレムニス ニ長調』とあり、楽譜の厚みのために折り返し部分が膨らんだ箇所には、第3曲の『クレド』というタイトルまで書きこまれています。実に細かい仕事です。

会話帳には、当然ながら、シュティーラーがベートーヴェンに伝えた言葉のみ記されているわけですが、18204月のページに、シュティーラーのこんな質問が書きこまれています。

「ミサは、何調になりますか?

ニ長調であることを教えられたシュティーラーは、楽譜の表紙に大きな文字で「D」と描きました。
 もう一つ注目すべき点は、背後の壁紙には精緻な筆遣いでつる植物や樹木の葉が描かれて、主人公を森、あるいは田園に置いていることです。この『田園』交響曲の作曲家が、実際に田園を愛した自然派、ロマンティストであったことを、画家はよく承知していたのでしょう。しかも、森といえば、ロマン派の主要題材の一つです。こうしてこの絵は、ベートーヴェンのロマン派への先駆性も暗示することになりました。

なお、シュティーラーはその後1828年に、ベートーヴェンが尊敬する文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(17491832)の有名な肖像画も描きました。下がそのシュティーラー作のゲーテの肖像画です。同じ画家が描いただけあって、雰囲気がよく似通っています。ゲーテと同じ画家に、しかもゲーテより一足早く描いてもらって、ベートーヴェンはきっと嬉しかったことでしょう。

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 よかったですね、ベートーヴェン大先生。本日は250歳のお誕生日、まことにおめでとうございます。
 今宵は数多くの記念コンサートが開催されます。その一つ、五反田文化センターで開かれる、『大坪健人×佐渡建洋 2台ピアノによる第九演奏会』にこれから出かけてまいります。
                                            2020年12月16日記