11月3日、オーチャードホールで開催された小山実稚恵さんのピアノシリーズ「ベートーヴェン、そして…」の第4回「本能と熟成」を聴いてまいりました。終演後、主催者のご配慮でバックステージで面会させていただいたところ、あれほどの熱演の直後というのにお疲れも見せず、シリーズ唯一のオーケストラ協演の回に、山田和樹マエストロ指揮の横浜シンフォニエッタととてもうまく息があったと、ご満足そうな笑顔でした。
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 さて、この日のプログラムはたいへんめずらしい曲と、超有名曲の訳ありカップリングでした。
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲といえば、通常は、1番変ロ長調Op.15、第2番ハ長調p.19、第3番ハ短調Op.37、第4番ト長調Op.58、第5番変ホ長調Op.735曲を指しますが、実は彼には、ボン時代の1784年、満13歳の時に書いた、もう1曲の協奏曲があります。この曲には作品番号(Op)ではなく、作品番号外の作品という意味(WoO)の4番がふられています。
 13歳のベートーヴェンが、その頃師事していたヨハン・コットリープ・ネーフェ先生の教えを懸命に吸収し、先人たちに範をとって、初めての協奏曲に張り切って挑戦する姿が目に浮かんできて、思わずエールを送りたくなります。ただ、残念なことに、オリジナルのスコアもパート譜も逸失していて、現存しているのは、ピアノ一台でソロ・パートにオーケストラ・パートを補完しながら演奏できるように書かれた筆写譜のみです。これをもとに、ピアノ・パートとオーケストラ・パートからなる本来の協奏曲の形に復元を試みたのが、20世紀スイスの音楽学者ヴィリー・ヘスでした。
 ヘスの精緻な研究と丹念な復元作業のおかげで、現在、この第0番は協奏曲として立派に演奏可能となりました。興味深いことに、この曲は円熟期38歳の一大傑作、第5番と同じ変ホ長調で書かれています。変ホ長調で出発し最後にこの調をもってピアノ協奏曲創作を締めくくったベートーヴェン。
 その出発点と到達点を、小山さんはこの日一挙に採り上げたのです。
 さらに幕開けには、やはりボン時代の『ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲』までプログラムにのぼりました。つまり、10代の無名少年作曲家と円熟の大家を対置させた、卓抜なプログラムになっているわけです。それが、タイトル「本能と熟成」のゆえん。
 たしかに、若き日の2曲は未熟さも否めませんが、小山さんはその青い果物のような初期作に瑞々しい命を吹き込みました。しかも、第0番の第1楽章には自作の見事なカデンツァをお弾きになりました。他の協奏曲のベートーヴェン作り付けのカデンツァをよく研究なさったとのことで、ベートーヴェンのテイストにあふれ、かつ、ヴィルトゥオジティーにも富んだ、たいへん聴き応えのあるカデンツァでした。後半のピアノ協奏曲第5番『皇帝』は、なんだかベートーヴェンその人が小山さんに乗り移ったかのような、力感溢れる、揺るぎのない名演でした。 
                                          2020年11月5日記