小平中央公民館を会場に2009年から毎月2回、開講してきました「小平楽友サークル講座」は、今春から半年間休講とさせていただいておりましたが、運営役員様方と公民館のご努力により、感染症防止対策を徹底させたうえで9月より無事再開の運びとなりました。現在のテーマはベートーヴェンです。明後日10月21日の第4回では、チェロを含む室内楽作品のお話しをしてチェロ・ソナタ第3番と、ピアノ三重奏曲第5番『幽霊』を鑑賞いたします。なぜ、この2曲なのか? それは、この2曲には、他の追随を許さない、実に感動的な映像があるからです。
その映像とは、チェロ音楽史上不世出の大器であった、イギリスの女性チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレとその夫ダニエル・バレンボイムが1969年にスタジオ収録したチェロ・ソナタ第3番と、この夫妻に親友のピンカス・ズーカーマンの加わった『幽霊』の70年スタジオ収録映像です。69年、70年と言えば、デュ・プレの最盛期。1945年生れ、5歳からチェロを弾き始めたデュ・プレは、60年にカザルスのサマースクールを受講して巨匠に絶賛され、61年、ウィグモア・ホールでリサイタルデビューを大成功させます。翌年にはエルガーの協奏曲でBBC交響楽団と共演して絶賛されました。
67年5月15日にバレンボイムと結婚、夫妻協演でツアーを繰り広げ、世界を席巻しました。そのわずか数年間が彼女の最盛期でした。
不調は70年頃から始まり、71年は半年間活動休止。年末に奇蹟的に復活して、バレンボイムと、ショパンとフランクのソナタを録音したのが、神の最後の祝福でした。73年4月には夫妻でドヴォルザークの協奏曲を協演するために来日しましたが、東京で本番前にキャンセル。その年の秋に、多発性硬化症の診断がくだされます。28歳の若さでした。闘病生活前半は多少のレッスン等は可能でしたが、病は次第に進行して身体機能が次々と奪われ、1987年10月19日に42歳で神に召されました。
今日は、33回目の御命日です。
1988年、イギリスのHaknessさんという薔薇栽培家がデュプレの名を冠した白薔薇『Jacqueline du Pré』を作出なさいました。
わたくしは、2002年に出版した初の単著『五線譜の薔薇~音楽史を彩る女性たち』という、女性音楽家12人の評伝オムニバスに、デュ・プレをとりあげ、生い立ちから少女時代、演奏家生活、結婚生活、ステージを降りてからの後半生について、当時のわたくしなりに知り得たことをまとめ、ご本人や身近な方々のお気持ちに思いを馳せた叙述をさせていただきました。
それから18年たちますが、デュ・プレのことを想うと、いつも、胸が締め付けられるような気がいたします。才能という神の恩寵が大きすぎたために、あれほど短い演奏家生活しか送れなかったと考えても、彼女の旦那様のようにそうではない例も多々ありますので、やはり、デュ・プレが気の毒でなりません。せめて、21日の小平楽友サークル講座では、デュ・プレがどれほど偉大な演奏家であったかをお話しして、メンバーのみなさまとともに彼女のベートーヴェンをじっくりと噛みしめさせていただこうと思っております。
33回目のご命日の今日は、これからお花屋さんへ出掛け、『Jacqueline du Pré』は見つけられなくとも、それに似通った白薔薇を買ってCDジャケットにお供えし、彼女を偲びたいと思います。
2020年10月19日、ジャッキーの33回目のご命日に記

67年5月15日にバレンボイムと結婚、夫妻協演でツアーを繰り広げ、世界を席巻しました。そのわずか数年間が彼女の最盛期でした。
不調は70年頃から始まり、71年は半年間活動休止。年末に奇蹟的に復活して、バレンボイムと、ショパンとフランクのソナタを録音したのが、神の最後の祝福でした。73年4月には夫妻でドヴォルザークの協奏曲を協演するために来日しましたが、東京で本番前にキャンセル。その年の秋に、多発性硬化症の診断がくだされます。28歳の若さでした。闘病生活前半は多少のレッスン等は可能でしたが、病は次第に進行して身体機能が次々と奪われ、1987年10月19日に42歳で神に召されました。
今日は、33回目の御命日です。
1988年、イギリスのHaknessさんという薔薇栽培家がデュプレの名を冠した白薔薇『Jacqueline du Pré』を作出なさいました。

わたくしは、2002年に出版した初の単著『五線譜の薔薇~音楽史を彩る女性たち』という、女性音楽家12人の評伝オムニバスに、デュ・プレをとりあげ、生い立ちから少女時代、演奏家生活、結婚生活、ステージを降りてからの後半生について、当時のわたくしなりに知り得たことをまとめ、ご本人や身近な方々のお気持ちに思いを馳せた叙述をさせていただきました。
それから18年たちますが、デュ・プレのことを想うと、いつも、胸が締め付けられるような気がいたします。才能という神の恩寵が大きすぎたために、あれほど短い演奏家生活しか送れなかったと考えても、彼女の旦那様のようにそうではない例も多々ありますので、やはり、デュ・プレが気の毒でなりません。せめて、21日の小平楽友サークル講座では、デュ・プレがどれほど偉大な演奏家であったかをお話しして、メンバーのみなさまとともに彼女のベートーヴェンをじっくりと噛みしめさせていただこうと思っております。
33回目のご命日の今日は、これからお花屋さんへ出掛け、『Jacqueline du Pré』は見つけられなくとも、それに似通った白薔薇を買ってCDジャケットにお供えし、彼女を偲びたいと思います。
2020年10月19日、ジャッキーの33回目のご命日に記
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