10月13日夜、久々に紀尾井ホールに出掛けました。2006年ミュンヘン国際コンクール第2位、2007年クララ・ハスキル国際コンクール優勝を機に国際舞台で活躍を続ける河村尚子さんのピアノ・リサイタルが開催されたのです。(横のミュシャは単なる季節のイメージ)
紀尾井ホールは1995年4月2日に、新日本製鐵(現日本製鉄)の創立20周年記念事業としてオープンした施設で、クラシック専用の席数800の中ホール、及び、邦楽専用、席数250の小ホールを有しています。この日、河村さんのリサイタルが開かれた中ホールは、ステージの間口と天井高がほぼ1:1のシューボックス型。厚い木質の壁面と緊密な響きを生む強化ファイバーコンクリート製の天井に囲まれたホール空間全体が一つの楽器と言える、抜群の音響効果を持っています。さらに、ステージ奥の上部やバルコニー席上部のギリシャ神殿風の大理石の柱と、天井から吊るされた美術工芸品そのものの、美しく精巧なシャンデリア数基が、何とも気品ある、かつゴージャスな雰囲気を醸し出していて、わたくしの大好きなホールです。日本製鉄がオーナーで、公益財団法人・日本製鉄文化財団によって運営されていますが、ホール名にそれが冠されていない奥ゆかしさも好ましく思えます。
所在地は、千代田区紀尾井町6番5号。ホテル・ニューオータニのお向かいです。このホテルの所在地も同じく、紀尾井町4番1号。つまり、由緒ある「紀尾井」の地名が受け継がれ、ホール名もそれに因んで名づけられているわけです。
江戸時代、現在の上智大学キャンパスのあるところに尾張徳川家の、清水谷公園やグランドプリンスホテル赤坂の敷地に紀州徳川家の、ホテル・ニューオータニのある場所に彦根藩井伊家の、それぞれ江戸屋敷があったことから、一文字ずつ取って「紀尾井」の名称が生まれました。
昭和40年代、東京には町名改悪の嵐が吹き荒れましたが、ここはその嵐を免れて町名が存続し、こうしてホール名に反映されたのは嬉しいことです。
実は、わたしくが2003年に上梓した『幸田姉妹』にその生涯と業績を紹介させていただいた、わが国の音楽留学生第1号で、日本人として最初にソナタ形式の楽曲を書いた、幸田延(こうだ・のぶ)が、東京音楽学校教授を退いたのちに居を構え、在野の音楽家としてピアノ塾『審声会』を開いた地こそ、紀尾井町3番地でした。同著の取材中にその跡地を突き止めた時には、古いおうちがありましたが、その後、マンション風の建物に建て替わってしまいました。それでも、幸田延さんの本拠地、終焉の地ですから、紀尾井町の町名にはひときわ愛着を感じます。
そのすぐそばに、現在「紀尾井町サロンホール」という80席のホールも運営されています。この運営者も「紀尾井町」の名に誇りを持っていらっしゃるのでしょう。ここも、紀尾井ホールと同じ、永田音響設計による響きのよいホールです。
さて、話題を河村さんのリサイタルに戻しましょう。
幕開けの、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲つき」からして、もう誰にも真似のできない河村さんの世界。微細なルバート、独特のリズムの揺らし、さらりと入る小粋な装飾音、そして、あまり使わないようでいて実は細かく踏み分けて効果満点の高度なペダル・テクニック。こんな風に弾こうとしても、他の人ではまず成功しないでしょう。
次は同じイ長調つながりで、シューベルトのピアノ・ソナタ第13番D664。これまた、明るく屈託のないシューベルトではありますが、随所に河村流の仕掛け満載でした。
藤倉大の『春と修羅』はロマンティックでおしゃれな前半と、突然の強奏に始まる激しい後半からなるたいへん聴きやすい曲で、きらきらとした速いパッセージで終わりました。話題映画『蜜蜂と遠来』の中で架空のコンクール課題曲として、今をときめく藤倉大さんが4つのヴァージョンを書かれたうちの、栄伝亜夜ヴァージョンです。河村さんはこれを録音されています。タイトルの『春と修羅』が宮沢賢治といかなる関りがあるのか、詳しく知りたいところでしたが、配付プログラムには、昨今の事情を反映してか、曲目解説が全くありませんでしたので、そのあたりのことがわかりませんでした。
そのあとはショパン。ノクターン17番、スケルツォ4番、幻想ポロネーズ、アンコールとして、変ニ長調のニ長調のノクターン(8番)と幻想即興曲が演奏されましたが、いずれも優れた身体性を感じさせる演奏でした。つまり、からだ全体が、ヴァイオリンにおける弓のようにピアノという発音体に対峙して、あらゆるコントロールを利かせながら、多彩な音を紡ぎ出し、剛柔自在のショパンを構築している、という印象です。以前からそれを感じておりましたが、この日特にそれが際立っていました。ああいうふうにピアノが弾けたら、どんなに爽快なことでしょう。河村さんは明らかに、選ばれしピアニストの一人だと痛感いたしました。この紀尾井町に魂の宿る幸田延さんも、きっと河村さんの演奏にわくわくされたことでしょう。
2020年10月15日記
紀尾井ホールは1995年4月2日に、新日本製鐵(現日本製鉄)の創立20周年記念事業としてオープンした施設で、クラシック専用の席数800の中ホール、及び、邦楽専用、席数250の小ホールを有しています。この日、河村さんのリサイタルが開かれた中ホールは、ステージの間口と天井高がほぼ1:1のシューボックス型。厚い木質の壁面と緊密な響きを生む強化ファイバーコンクリート製の天井に囲まれたホール空間全体が一つの楽器と言える、抜群の音響効果を持っています。さらに、ステージ奥の上部やバルコニー席上部のギリシャ神殿風の大理石の柱と、天井から吊るされた美術工芸品そのものの、美しく精巧なシャンデリア数基が、何とも気品ある、かつゴージャスな雰囲気を醸し出していて、わたくしの大好きなホールです。日本製鉄がオーナーで、公益財団法人・日本製鉄文化財団によって運営されていますが、ホール名にそれが冠されていない奥ゆかしさも好ましく思えます。
所在地は、千代田区紀尾井町6番5号。ホテル・ニューオータニのお向かいです。このホテルの所在地も同じく、紀尾井町4番1号。つまり、由緒ある「紀尾井」の地名が受け継がれ、ホール名もそれに因んで名づけられているわけです。
江戸時代、現在の上智大学キャンパスのあるところに尾張徳川家の、清水谷公園やグランドプリンスホテル赤坂の敷地に紀州徳川家の、ホテル・ニューオータニのある場所に彦根藩井伊家の、それぞれ江戸屋敷があったことから、一文字ずつ取って「紀尾井」の名称が生まれました。
昭和40年代、東京には町名改悪の嵐が吹き荒れましたが、ここはその嵐を免れて町名が存続し、こうしてホール名に反映されたのは嬉しいことです。
実は、わたしくが2003年に上梓した『幸田姉妹』にその生涯と業績を紹介させていただいた、わが国の音楽留学生第1号で、日本人として最初にソナタ形式の楽曲を書いた、幸田延(こうだ・のぶ)が、東京音楽学校教授を退いたのちに居を構え、在野の音楽家としてピアノ塾『審声会』を開いた地こそ、紀尾井町3番地でした。同著の取材中にその跡地を突き止めた時には、古いおうちがありましたが、その後、マンション風の建物に建て替わってしまいました。それでも、幸田延さんの本拠地、終焉の地ですから、紀尾井町の町名にはひときわ愛着を感じます。
そのすぐそばに、現在「紀尾井町サロンホール」という80席のホールも運営されています。この運営者も「紀尾井町」の名に誇りを持っていらっしゃるのでしょう。ここも、紀尾井ホールと同じ、永田音響設計による響きのよいホールです。
さて、話題を河村さんのリサイタルに戻しましょう。
幕開けの、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲つき」からして、もう誰にも真似のできない河村さんの世界。微細なルバート、独特のリズムの揺らし、さらりと入る小粋な装飾音、そして、あまり使わないようでいて実は細かく踏み分けて効果満点の高度なペダル・テクニック。こんな風に弾こうとしても、他の人ではまず成功しないでしょう。
次は同じイ長調つながりで、シューベルトのピアノ・ソナタ第13番D664。これまた、明るく屈託のないシューベルトではありますが、随所に河村流の仕掛け満載でした。
藤倉大の『春と修羅』はロマンティックでおしゃれな前半と、突然の強奏に始まる激しい後半からなるたいへん聴きやすい曲で、きらきらとした速いパッセージで終わりました。話題映画『蜜蜂と遠来』の中で架空のコンクール課題曲として、今をときめく藤倉大さんが4つのヴァージョンを書かれたうちの、栄伝亜夜ヴァージョンです。河村さんはこれを録音されています。タイトルの『春と修羅』が宮沢賢治といかなる関りがあるのか、詳しく知りたいところでしたが、配付プログラムには、昨今の事情を反映してか、曲目解説が全くありませんでしたので、そのあたりのことがわかりませんでした。
そのあとはショパン。ノクターン17番、スケルツォ4番、幻想ポロネーズ、アンコールとして、変ニ長調のニ長調のノクターン(8番)と幻想即興曲が演奏されましたが、いずれも優れた身体性を感じさせる演奏でした。つまり、からだ全体が、ヴァイオリンにおける弓のようにピアノという発音体に対峙して、あらゆるコントロールを利かせながら、多彩な音を紡ぎ出し、剛柔自在のショパンを構築している、という印象です。以前からそれを感じておりましたが、この日特にそれが際立っていました。ああいうふうにピアノが弾けたら、どんなに爽快なことでしょう。河村さんは明らかに、選ばれしピアニストの一人だと痛感いたしました。この紀尾井町に魂の宿る幸田延さんも、きっと河村さんの演奏にわくわくされたことでしょう。
2020年10月15日記
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