鈴木雅明さん率いるバッハ・コレギウム・ジャパンは毎年4月、復活祭の聖金曜日にバッハの『マタイ受難曲』演奏会を開催されてきました。今年も4月10日の金曜日に東京オペラシティコンサートホールでこの偉大な音楽遺産を上演なさる予定でしたが、感染症拡大防止の観点から、意義ある日に開催することを断念されました。しかし、BCJは強い意志をもって、「中止」ではなく「延期」となさり、8月3日、同じ会場で昼夜2回、『マタイ受難曲』公演を実現なさったのです。そのうちの夜公演を聴いてまいりました。
延期と一口で言っても、その準備はどれほどたいへんだったことでしょうか。予定されていた海外演奏家はお呼びできませんから、すべて国内演奏家のみで新たに出演者を再調整して、そのメンバーで練習を進める一方、延期公演に来場できないお客さまには払い戻しもしもしなければなりません。印刷物もつくりなおしです。何から何までやり直しです。
当日は、客席数50パーセント以下のガイドラインを守って、その分、昼夜2回公演となりました。消毒液噴霧、検温、マスクの着装要請、掛け声禁止など厳重な感染症予防対策がとられる中、時間が来て、出演者の入場です。一人ずつ距離をおき、しかも、皆さんマスク姿です。まさか、歌う時も? しかし、さすがに位置につくとマスクははずされ、そっとポケットへ。つまり、ここまで気を使っています、というデモンストレーションの意味があります。これをみれば、客席のわたくしたちも、ゆめゆめマスクを外そうとは思いません。
オーケストラは両群とも、ヴァイオリン2×2、ヴィオラ1、チェロ1、ヴィオローネ1、オーボエとその仲間2、フルートとその仲間2、器楽はこのほか鈴木優人さんのオルガンと、福沢宏さんのヴィオラ・ダ・ガンバの計24。
声楽陣は、両群とも、ソプラノ3、アルト2、テノール2、バス2。他に、エヴァンゲリストの櫻田亮さん。9×2+1=19。指揮者の鈴木雅明さんを加えた、24+19+1の総勢44名でつくりあげる、究極の少数精鋭『マタイ』です。
えっ? エヴァンゲリスト以外のソリストはどうなっているの?と思われた方もおられるかも知れませんが、イエスも含め、すべてこの中から代わる代わるソリストとして立たれました。
とりわけ、重みと爽やかさを兼ね備えた、加耒
徹(かく・とおる)さんのイエスは、威厳も感じさせる一方、感情の起伏をゆたかに示しておられ、聴く者の共感を自然に誘いました。
エヴァンゲリストの櫻田さんは実に張りのあるよいお声で、2公演目であったにもかかわらず最後までエネルギーを保たれて、立派に受難劇の進行役をおつとめでした。
『マタイ』は本当に、いつ聴いても、人間の罪というものを考えさせられます。
総督ピラトは、イエスが尊い人であることを知っていて、なんとか助けたいと願いつつも、血をみないでは済まそうとしない凶暴な群集心理の前にその考えを放棄してしまい、「それほどいうなら、好きにしなさい」と節を曲げてしまうのです。このような心の動きと実行動は、つねに人の世にあるもので、とても、おそろしいものだと思います。
かくて、イエスは十字架上で死を遂げました。その時、天変地異が起こります。
そのあとの第64曲、バスのレチタティーヴォ・アッコンパーニャはこうです。
「夕方、涼しくなったころ、アダムの堕落があきらかになった」
これは、「人間たちの罪が、はじめてあきらかになった」ということなのですね。
では、救いはないのでしょうか。いいえ、あります。こう続くのです。
「夕暮れに、救い主はそれを克服された。夕暮れに、鳩はオリーブの葉をくわえて戻ってきた。おお、麗しい時、夕暮れのひと時……」
罪に満ちた人間の世に、鳩のくわえたてきた一片のオリーブの葉。

かつて、人々の嘲笑を買いつつ、苦労して作り上げた箱舟に、わずかな人類と各種動物を一つがいずつ乗せて大洪水を逃れたノアが、水の引くのを待ち焦がれていたところ、ついに、一羽の鳩がオリーブの葉をくわえてきたのをみて、さしもの洪水も収まり、大地に緑が蘇ったことを知るのです。長い混迷の日々に、鳩のオリーブが希望の明日を照らし示したのです。
この故知を引用して、イエスの復活を暗示し『マタイ』は終わります。
4月の復活祭が、感染症の世界的大流行の影響を受けて、真夏の8月に移動を余儀なくされても、BCJのみなさまは、この陣容で見事、『マタイ』を上演なさいました。
先が見えない世の中、と思いたくなりますが、そんなことはありません。わたくしたちにも、鳩のオリーブは必ずもたらされるでしょう。その日が一日も早く来ますように、一人一人が、感染症拡大防止のためにできることをすべて、実行いたしてまいりましょう。
この『マタイ』の夜、満月も煌煌と、地上を照らしておりました。
2020年8月4日記

コメント
コメント一覧 (5)
この気詰まりな状況下に、『マタイ受難曲』の演奏というのは、素晴らしいことだと思います。延期されても上演にこぎ着けられた方々、それを待ちに待っていた聴衆……さぞかし大きな浄化、カタルシスのあった演奏会であったろうと思います。8月4日の満月も花を添えましたね。
何よりも、このコロナの提示してくる状況に対し迎え撃つような、必要最小限・少人数でのバッハ演奏というのは、極めてバッハ的です。腐敗していた当時のカトリシズムに対するプロテスタンティズムのようなものまで感じさせます。
おっしゃるように『マタイ受難曲』には、罪のテーマが一貫していますね。有名な第47曲の「神よ憐れみ給え」のアリアと言い、第58曲のフルートのオブリガートのあるアリアといい、第66曲のヴィオラダガンバを伴うアリアと言い、罪の思いで一貫されている。このガンバのアリアの終わりなど、第58曲のアリアの「彼(イエス)は一つの罪もご存じなかった」のメロディーを弾いて終わるんですね。そして、お書きになったように終曲の前のレシタティーヴォでは、アダムの原罪への言及と旧約創世記のノアの鳩の帰りくる夕べの詠唱で結ぶんですね。
「罪」とか「原罪」というのは、既成の宗教的観念で考えると重く抹香臭くなってしまいますが、もっと新鮮に、人間の自然や宇宙や自分の生命・生存に対する「根本的謙虚さ」としてとらえると、今のコロナ禍の問題や地球温暖化の問題、経済戦争、自国第一の蝸牛角上・呉越同舟の戦い……すべてに通じる問題なのではないでしょうか?
yukiko3916
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アダムの原罪等に言及した「終曲の前のレシタティーヴォ」は、正確には第74曲、am Abend da …で始まるバスのレシタティーヴォです。「涼しきこの夕べ、アダムの原罪は明らかとなり」で始まる曲です。一部カットのバージョンで聴くことも多く、勘違いしました。失礼しました。
yukiko3916
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『マタイ受難曲』の世界はあまりにも奥が深く、到達しえないことばかりですが、少しずつ、理解を深めていきたいと思っております。好きな曲もたくさんある中で、この夜は、とりわけ、鳩の使いのレチタティーヴォに今の世の中を重ね合わせられてならず、遥か歴史の彼方から、バッハがわたくしたちに道を照らしてくれているかのように思えて、もっとも感動的いたしました。
yukiko3916
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バッハほどの曲となりますと、単に個人的な感情とか才能とか、そういうことを超えていまして、人類の黄昏とか運命とかそういうことまでをも内包し予感させるところがあって、特に『マタイ受難曲』となればなおさら。加えてこの全人類的ウイルス禍ですから、それは戦禍差し迫る1939年にアムステルダムで演奏されたメンゲルベルクの『マタイ』などと同様の意味合いを持つのだと思うのです。
ノアの大洪水の日々の後の黄昏──それは人類と、方舟にかくまった全ての生命にとっての黄昏かと思いきや、放った一羽の鳩がオリーブの葉をくわえて帰ってくる! 水が引いた! 救われたと思うその感情は、空にかかった虹とともに、まだ見捨てられていない!という思いにつながったと思います。それを踏まえつつ、この曲はアダムからイエスまでの行程を一つの夕暮れの中に見渡す。
黄昏なのにあけぼの。暮れゆくのに明け行く。この明暗相半ばする感情は、バッハが人類の未来に託した思い。後にベートーヴェンが『エグモント序曲』や『レオノーレ序曲』で、くっきりと二つに対比して見せてくれるものの母胎、黎明とも言うべきものです。今のこの時にもずっしりと響きますし、また優しく包んでくれるかのようです。
yukiko3916
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yukiko3916
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