小山実稚恵さんといえば、我が国を代表するピアニストのお一人で、12年間24回のリサイタル・シリーズ完遂という前人未到の偉業も達成された名手です。これまでに30点以上の録音作品もリリースしてこられましたが、実は、ベートーヴェン作品の録音は昨年の45回転アナログ・シングル『エリーゼのために』
を除くと1点もありませんでした。その小山さんがベートーヴェン記念年の今年、ついに初のベートーヴェン・アルバムを世に問われました。 初めてのベートーヴェン録音が『ハンマークラヴィーア』とは、これはもう、まさに「満を持して」!という言葉がぴったりの一大集成。あの12年間24回シリーズでもお弾きになられましたが、永遠に残り、何度でも繰り返して聴くことのできるディスクを世に送られるのですから、只ならぬ覚悟で録音に臨まれたに違いありません。緊張して聴き始めました。
ベートーヴェンのソナタ創作第3期の開始を告げる重要作ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 作品101はベートーヴェン 46歳の1816年に完成しました。ピアノの弟子ドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人に献呈されたことから『ドロテア・チェチーリア』ソナタとも呼ばれます。エルトマン男爵夫人は非常に才能豊かな女性で、ベートーヴェンは彼女を音楽の守護神チェチーリアになぞらえて「チェチーリア』と呼びその才能と人柄を愛していました。それほど優れた女性に献呈されたこの曲は、以前までのソナタと比べると和声も変化にとみ各声部も緻密に絡み合うなど表現の巾が格段に広がっています。
このアルバムのメインは、『ハンマークラヴィーア』ソナタなのかも知れませんが、この『ドロテア・チェチーリア』ソナタの演奏がまず耳を奪います。心の内なる感情が吐露され、深い幻想味の醸された第1楽章に胸打たれていると、一転、力強く躍動的な第2楽章が決然と始まります。そのあざやかな場面転換は、この曲を心から感じているピアニストにして初めて可能なことです。中間部のカノンもまことに生き生きと奏されています。憧れにみちた第3楽章序奏が終わると第1楽章第1主題が一瞬顔を出し、続くトリルからアレグロ、イ長調、2/4拍子の主部に入るのですが、そのトリルにこめられた万感の思いに、思わず息を飲みました。この『ドロテア・チェチーリア』ソナタがこれほどまでに深い内容を持ち、人間の言葉そのものであることを小山さんの演奏からひしひしと感じ、小山さんの演奏姿がドロテア・エルトマン男爵夫人のそれと重なってきました。
2曲目の『ハンマークラヴィーア』ソナタは1819年完成の大作です。ハンマークラヴィーアとはピアノの一般呼称で、ベートーヴェンは出版社に、作品101以降のソナタはすべてイタリア語のピアノフォルテではなくドイツ語のハンマークラヴィーアのためのソナタと表記するように求めているので、その指示に従えば後期5曲はすべて『ハンマークラヴィーア』と呼ばれるべきなのでしょうが、この作品106だけがこう呼ばれるようになったのは、ピアノという発展途上の新興楽器の性能と表現力の粋を尽くした空前絶後の作品、という畏怖の念から、楽器のドイツ語名そのものがこの曲の愛称として定着したのではないかと思われます。桁外れに長大なこのソナタは交響曲にも匹敵する規模と内容を持ち、変奏技法とフーガ書法の新たな可能性が徹底追及された前人未踏の大作で、4楽章形式のソナタとしてもこれがベートーヴェン最後の作となりました。
第1楽章のアレグロでは、いきなりオーケストラの総奏のような第1主題前半楽節が強打され、フェルマータ休止ののちこれと対照的な流麗な後半楽節が弱奏されますが、そのコントラストの表現のなんと鮮やかなことでしょう。第2楽章のスケルツォはまるで人間の対話のような精彩にあふれています。深い精神性に貫かれた第3楽章を経てフィナーレに至りますが、その序奏ではテンポの頻繁な交代、劇的な転調、強弱の対比に目を瞠らされ、トリルと下降音型による導入から3声の大規模なフーガに入ると、各声部にそれぞれの人格の宿るかのごとき名演に息を飲んで聴き入るばかりでした。
ベートーヴェンがピアノ・ソナタというジャンルで表現しようとしたことは一朝一夕に理解しおおせるものではないにしても、少なくとも、ピアノ音楽に人間の言葉と語り口の性格を持たせたということが小山さんの演奏からありありと伝わってきました。
生誕250年の記念の年に、ベートーヴェンを愛することでは世界屈指の国と言ってよい日本から、これほどの名録音が発信されたことを誇らしく思います。
小山さん、リリースおめでとうございます。そして、ありがとうございました。
2020年7月19日記


コメント
コメント一覧 (3)
日々、ご健筆ぶり、拝見しております。ご自身の音楽的随想の他に、再会し始めた音楽会のご報告、何よりの励みになります。私にとっても、音楽界にとっても。
小山実稚恵さんの、後期ベートーヴェンの世界のリリースも、このウイルス禍の年に、着々と営まれていた芸術的な世界が思われて、元気をもらいます。
実は、思うところがあって、ここのところベートーヴェンのピアノソナタのスケルツォ楽章というのを調べておりました。意外と早く6番辺りからもう現れるのですが、28番のところで段差をつけてその意味が変わるんですね。いわばスケルツォ的楽章が楽曲の腰になって、遊びや諧謔や微笑みや自己憐憫が凝縮して出て来る。主に第三楽章に在ったその位置も第二楽章へと変わり、その分第三楽章のアダージョ的楽章の内省が深まり、スケルツォと対比されて来るんですね。その典型が「ハンマークラヴィアソナタ」だと踏んでいます。
何だか釈迦に説法ですが、もう少しだけ書きますと、この第二楽章スケルツォと第三楽章アダージョの様式は、すでに弦楽四重奏曲の「ラズモフスキー第一番」で大実験されています。その実験がついに後期のピアノソナタで現実となったのが、「ハンマークラヴィアソナタ」だと思っているのです。
それだけに、小山さんのこの二曲への的の絞り方には、何か満を持したものを感じます。(つづく)
yukiko3916
が
しました
バッハがいわば「平均律」で、神が既に完成した音楽世界の体系を示すのに対して、ベートーヴェンは自分という人間の「個」から目を離さず、その過去を回顧し、最果てを遠望しつつ、刻々生成発展を遂げそれを記録していく。いわば近代的意識の開祖とも言うべきベートーヴェンが、ウイルス禍のこの年、生誕250年を迎えるということが、我々にとってどんなに力強い指針であることか。
記事により元気を頂きましたので、少し長くなりました。
yukiko3916
が
しました
いつもながら、深い洞察力に満ちたご考察に目を開かされる思いです。わたくしの気づかなかった観点を教えていただきました。ありがとうございます。改めて、ベートーヴェンの奥深さと、つねに新しい試みを実践する旺盛な創作精神に打たれます。それほどの巨峰に、この記念の年に登攀を開始された小山さんの覚悟とみごとな成果を讃えたく、ささやかな記事をアップしました。また、いろいろとご教示くださいませ。
yukiko3916
が
しました