奇蹟を体験いたしました。昨日オーチャードホールの東フィル演奏会で久々に従妹の明子ちゃんに会い、帰りにカフェで語らううちに4年前に亡くなった、共通の叔父・玉置勝彦の思い出話に花が咲き、勝彦叔父の親友で、おうちもごくご近所だった舘野泉先生の話題も出て、ほのぼのとした気持ちで帰宅したところ、郵便受けにその舘野泉先生からのレターパックを発見したのです。
(写真左が叔父・玉置勝彦の指揮姿、右は似たようなポーズの舘野先生)

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何という奇遇、と思いながら開けますと、中身は『E・ショーソン 舘野泉×浦川宜也』というCD他です。

えっ、ショーソンを浦川先生とご協演??  では最近の録音ではないはず。と思いながら帯をみますと、「二人の巨匠が共演した幻の名演が、今60年の時を経て蘇る!!」と記されているではありませんか。

 ずいぶん昔のものであるのに驚きながら、ライナーノートを開き、舘野先生ご自身の筆になるこのCDの成立事情の説明ページに進んだとたん「玉置勝彦」の活字が目に飛び込んできて、思わず、あっと声をあげました。

 舘野先生のお若き日、芸大の奏楽堂は「自由に演奏できる聖地のようなもの」であったそうです。1959年の春、この奏楽堂で、当時芸大3年生であった先生が、芸高3年生だった浦川先生とショーソンの『ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲』を協演なさることになりました。弦楽四重奏は、先生のご令妹の晶子さま(ヴァイオリン)とご令弟の英司さま(チェロ)に、林瑤子さま(ヴァイオリン)、白神定典さま(ヴィオラ)というメンバー。若手のホープとして知られるソリスト二人の顔合わせ、しかも舘野三きょうだいの協演でもあるということで、大きな話題となり、奏楽堂は満席。安川加寿子先生も聴きにいらしたそうです。

その呼び物公演を、是非、音として残しておこうと張り切って、そのころ、まためずらしかった録音機器を持参して、細心の注意を払って録音したのが、当時芸大でヴィオラを学んでいた、勝彦叔父だったそうです。叔父はそういうことの大好きな人でしたから、一生懸命、それこそ、息もしないように注意を払って、テープを回していたのだと思います。

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   これが、『E・ショーソン 舘野泉×浦川宜也』CDジャケット。

舘野先生の文章に、こうあります。

「親友の玉置勝彦(故人・ヴィオラ)が自前の録音機を持ち込み、それが60年の時を経てCDとなった。

 音楽に恋をし、夢の中を疾風のように駆け抜けた若き日がまざまざと蘇る。

 言葉もない。」 

 叔父の演奏こそ入っていませんが、録音エンジニアとしてここに参加していた彼も、「音楽に恋をし、夢の中を疾風のように駆け抜けた若き日」を舘野先生と共有した人でした。叔父は本当に三度のご飯よりも音楽が好きな人で、そういう方によくある、でもお酒は例外、というエクスキューズすらないほんものの下戸、ひたすら、音楽を愛していました。機械ものも好きだったようで、運転も好き。どこへでも車で出かけていました。

 わたくしは、叔父がライフワークとして命がけで、誇張ではなく文字通り命をかけて主宰していた東京エラート室内管弦楽団の定期演奏会プログラムを毎回書かせていただき、多くの事を学ばせていただきました。コンサートの進行役を務めさせていただいたこともあります。でも、従妹の明子ちゃんはもっともっと叔父に近い存在で、奥様を亡くされて一人暮らしとなっていた叔父のおうちに毎週通ってお食事をともにし、ヴァイオリンのレッスンも受けて、子どものいない叔父の娘同然でした。叔父の録音したショーソンの名曲が、今聴いても豊穣であざやかな色彩感を伴った音として、CDの形で蘇ったことを誰よりも嬉しく思うことでしょう。

 最後に、ウィキペディアの記載を引用して叔父を紹介させていただきます。

●玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935730日 - 2014921日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。 指揮法を渡邉暁雄に師事し、東京エラート室内管弦楽団指揮者をつとめた。

1960年 東京藝術大学卒業(ヴィオラ専攻)。東京交響楽団入団。

1962年 東京藝術大学専攻科修了。 同大学講師となる。その後読売日本交響楽団入団。

1966年 渡独、ニュルンベルク交響楽団(ドイツ語版、英語版)第一首席ヴィオラ奏者。

その後ニュルンベルク市立歌劇場メンバーとなる。

ヴィオラをゲオルク・シュミットに、ヴァイオリンをヴォルフガンク・シュタフォンハーゲンに師事。

1970年 東京フィルハーモニー交響楽団首席奏者。

1973年 同交響楽団退団。

指揮法を渡邉暁雄に師事し、東京エラート室内管弦楽団指揮者をつとめた。日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団、東京メトロポリタン室内アンサンブル等に客演指揮。

また、東京大学音楽部管弦楽団を18年にわたって指導し、東京アマデウス管弦楽団の指導を30年行った他、19919月よりコンセール21管弦楽団の音楽監督であった。

一方、ヴァイオリン、ヴィオラの教師として数多くの職業演奏家および アマチュア演奏家の育成に努力した。
 ※ライヴ録音CD多数もございます。ほとんどが指揮者としてのオーケストラ演奏会録音です。

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