ベートーヴェン唯一のオペラ『フィデリオ』第三稿=決定稿は1814年の今日、5月23日にケルントナー・トーア劇場で初演されました。人類愛と道徳観の権化のようなこの作曲家は、たった1作しかオペラを書きませんでしたが、その1作に、人類の自由、平等、博愛、友情、そして男女の愛の究極形を描きあげました。
ベートーヴェンは音楽家としてのモーツァルトをこよなく尊敬していましたが、モーツァルトのオペラの内容には、首をかしげざるをえないものが多かったようです。封建領主が小間使いをわがものにしようとする『フィガロの結婚』といい、カタログを作成できるほど数多くの女性をもてあそんだ男を主人公とする『ドン・ジョヴァンニ』といい、彼の倫理観にまったくそぐわない内容でした。ましてや、婚約者の貞節を試そうとする二人の青年士官と、これまた、あっさりと別の相手に靡いてしまう美人姉妹の物語『コシ・ファン・トゥッティ』に至っては、もう、どうにもこうにも許しがたい、不道徳なオペラだと感じて、モーツァルトへの尊敬の念さえ、揺るぎかねないほどでした。
そんな彼も、オペラという分野に食指が動かなかったわけではありませんでした。しかし、もともとオペラには、男女の道ならぬ恋や、結婚という枠組みに納まりきれない恋愛をテーマとするものが大多数を占めています。でも、ベートーヴェンは、そういうテーマで書くことを潔しとせず、男女の愛を扱うにしても、両者が真に平等な立場で愛し合い、その愛を貫くことが正義を貫くことに合致するような、そういう愛の物語をオペラにしたいと願い、さらに、そこに、人類全体の自由と解放、平等、博愛、友情の精神を盛り込んでこそ、オペラを書く意義があると考えたのです。
この確固たる信念から選ばれた原作台本は、フランスの台本作家ブイイの『レオノーレ』でした。これを、ウィーンの舞台監督ゾンライトナーが、自由なドイツ語に書き起こしたものが『フィデリオ』の第一稿です。
卑劣な政敵によって、国立監獄に収監されている正義の士、フロレスタンを妻のレオノーレが救い出すという物語です。レオノーレは夫救出ために男装してフィデリオと名乗り、牢屋番ロッコの助手に雇われるのに成功し、ロッコの信任を得て夫の地下牢に接近します。そして、夫フロレスタンを亡き者にしようとする政敵ドン・ピツァロの刃の前に、身を挺して立ちふさがります。
このストーリーは、ゲーテの原作による劇音楽『エグモント』にも共通しています。16世紀オランダの英雄エグモント伯爵はスペインの圧政に苦しむ民衆を救おうとして戦いに敗れ、捕らえられて死刑を宣告されます。恋人クレールヒェンはエグモント伯爵の救出に失敗して捕らわれの身となり、獄中で服毒自殺します。しかし、彼女の幻影は自由の女神となって彼の前に現れ彼の勇気と正義を祝福するので、エグモント伯爵も自分の死は無駄ではないと悟り、敢然として断頭台に向う、という物語です。この二つの物語は双子の兄弟のようによく似ています。
さて、『フィデリオ』第一稿はナポレオン旋風の影響を受けて予定より遅れた1805年11月20日に初演されましたが、観客のほとんどがフランス軍将校でしたから、ドイツ語オペラへの拍手はまばらだったようです。翌1806年3月29日の第二稿の上演も、確たる評価を勝ち得るには至りませんでした。
このオペラが真に成功を収めたのが、冒頭に書いた1814年5月23日の第三稿初演でした。前二回にさほどの成果を挙げることができず、不本意な気持ちでいたベートーヴェンは、もう一度、このオペラを世に問うことができる、と決まったとき、全力をこのオペラの改訂に傾けました。序曲も、1805年の第一稿には『レオノーレ第2番』を、1806年の第二稿には『レオノーレ第3番』を用いたのですが、今回新しく『フィデリオ』序曲を書き上げました。これは、全体を貫く勇ましい基本モティーフの強奏で始まり、間髪を入れずにホルンが優美に応える、非の打ちどころのない、劇的、かつ感動的な序曲です。
ハッピーエンドの結末はもちろん、観ていて気持ちのよいものですが、途中にも、心から共感する場面があります。それは、第一幕の終わり近くで、フィデリオ実はレオノーレが、自分への信頼を深めてくれた牢屋番のロッコに、一般囚人(みんな政治犯です)たちを中庭に出して、日光浴をさせてあげてはどうかと勧め、ロッコもその気になって彼らを久々に太陽の光のもとへ出してあげる場面です。一日中、陽の射さない牢屋から外に出る事を許され、おずおずと中庭に出て「おお、嬉しや、自由に大気を吸えるこの喜び!ただここにのみ、いのちはある」との合唱を繰り広げる囚人たち……。
人間にとって、太陽の光を浴びることがどれほど大切か。当たり前だと思っているそのことが、実はどれほどありがたいことか、しあわせなことであるかを、わたくしたちは忘れてはならないと思います。今、ウイルス感染拡大防止のために、不要な外出の自粛が呼びかけられているとはいえ、日用品、食料品の買い物や、マスク着用での散歩程度の外出は可能です。陽の光を浴びる自由は、どなたにでも許されています。これはとても幸せなことではないでしょうか。
この場面で、フィデリオ、ことレオノーレは、すでに夫フロレスタンが特別地下牢に入れられていることを知っているので、夫を外に出せるとは思っていません。でも、彼女は、他の囚人たちの身の上にも同情しているからこそ、ロッコに囚人たちの日光浴を提案したわけです。
愛と正義のヒロインは、人間がこんなうす暗い牢屋に閉じ込められているなんて、あってはならないことだ、と自由、友愛、博愛の精神を彼らの上にも発揮したのです。彼女の夫への愛は人類愛にまで高められています。上役の叱責を恐れながらも、彼女の提案をもっともなこととして受け容れるロッコも、人間らしい精神の持ち主です。ここにこそ、ベートーヴェン自身の人間解放と人類愛の思想をみることができるように思え、とても嬉しくなります。
2020年5月23日記
コメント
コメント一覧 (5)
『フィデリオ』の開幕というと“戦後”の本格的開幕の時にフルトヴェングラーにより演奏された『フィデリオ』に対するヨーロッパの人々の熱狂を思い出しますね。戦後最初の『第五』、もちろん『バイロイトの第九』もそうですが、この『フィデリオ』上演時の熱狂は凄まじいものがあったと言われます。おそらくその時人々は文字通りヨーロッパの解放を感じたのであり、おそらく自分自身が『フィデリオ』終幕に登場するあの囚われの人々の一人になったと感じられたのだと思います。解放の日に見えた人々の一人に。
ベートーヴェンの楽曲には、常に何かこの“人類の解放”を感じさせるものがあります。
『英雄』交響曲といい、『戦争』交響曲といい、彼は常に時代に対峙し、時代に取材し、時代に解放と救済が見え来るように作曲しました。これは確かに、モーツアルトともワーグナーとも目指す方向が違う。より人倫的というか、現実(内在)的というか。若いボン時代の頃、哲学も文学も科学も政治も、諸学を学んだベートーヴェンならではの姿勢。ギリシアの古典から庶民の心までを理解する、人間を見る目の広さ、深さ、確かさですね。(つづく)
yukiko3916
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yukiko3916
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最初に『フィデリオ』というオペラがあることをて知った、中学生か高校生の頃には、ベートーヴェンにとって男女の愛の理想形は夫婦愛にあることだけは理解でき、それなのに、彼は人生でそうしたパートナーを得られなかったことに、気の毒というか、複雑な気持ちになりました。そしてまた、同じ、一方が一方を救出するにしても、夫が妻をではなく、妻が夫を救い出すというイレギュラーな形であるのを不思議にも思い、ベートーヴェンは女性の魅力の一つとして、勇敢さを求め、そんな女性に救済されたい願望があったのかしらと、そこまでは考えました。
なので、人間の肉体と精神の解放、人類全体の友愛、という大きな理念を理解したのは、そのあと、実際の上演を観てからです。その極めつけが、囚人の合唱でした。
『エグモント』は本当に瓜二つではないでしょうか。あちらは、二人とも亡くなるけれども、クレールヒェンの想いはエグモンと伯に届き、二人の魂は救済される、こちらは、二人とも命永らえ、他の囚われ人たちともども解放の時を迎える、その違いはあっても、理念は一つと思うのです。
ついでに言えば、『コリオラン』にもこのテーマは共通してるように思います。
yukiko3916
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女性が男性を救済するという考え方は、確かに『エグモント』の中にも『コリオラン』の中にもありますが、これはベートーヴェンのものであるとともに、ゲーテの「永遠なる女性は我らを引きて昇らしむ」(『ファウスト』のラスト)ですし、もっと言えばダンテ『神曲』の淑女ヴェアトリーチェです。さらに言えば、聖母マリア的なものに対する中世騎士道的な精神の系譜と思われますが、具体的には私はベートーヴェンの母マグダレーナに由来すると思っています。ベートーヴェンの第二主題にはいつも感じられる、あの優しく肯定的な母の面影に。
yukiko3916
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カントやゲーテ、そして阿弥陀の精神、お教えいただき、ありがとうございます。勉強不足の身に、ありがたいご指摘です。ベートーヴェンは、一般に思われているよりもはるかに、万巻の書とまでは言わないまでも、多くの書物に親しんでいたことは、彼の理想の具現である音楽作品からもあきらかかと思います。
読書が人を育て、ひとの精神を育て、豊穣な実りをもたらすものであることを、あらためて痛感いたします。
yukiko3916
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