音楽の近代コンクールとして世界最古のショパン国際ピアノ・コンクール。今年はその第18回が10月に開催予定でしたが、この度の世界的感染症拡大の波を受けて、1年延期が発表されました。2000年の第14回から連続4回取材してきた身としては、残念ではあるものの、パンデミック完全終息後に晴れて開催していただくほうがよほどありがたく、場合によっては2年延期か、1回抜いて、2025年でもよいのではとさえ思っております。

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このコンクールは1927年にその第1回がワルシャワに根を下ろしました。その後、5年に一度の指針に沿って1932年、1937年に第2回、 第3回が開催されます。そのままいけば、第4回は1942年のはずでしたが、この間の19399月、ナチス・ドイツが恥知らずにもポーランド国境を蹂躙したことからヨーロッパは6年戦争に突入します。

コンクールの開催地ワルシャワは瓦礫の山と化し、コンクール会場であった旧フィルハーモニーも焼失して、多くの貴重な人命が失われます。ナチス・ドイツのユダヤ系の方々を対象とした、悪魔の思いつきのような絶滅収容所もポーランドに作られました。

 これでは到底、音楽コンクールどころではありません。

 1945年に戦争が終わると、関係者は何とかしてコンクールを再開しようと奔走します。フィルハーモニーの再建は一朝一夕にはなりませんでしたが、ノヴォグロッカ通りにローマ会館という多目的ホールが再建されたのに着眼して、ここを会場にようやく第4回を開催した時は、前回から12年を隔てた1949年になっていました。戦後まだ4年ですから、困難が多かったことと思いますが、何しろこの1949年はショパンの没後100年の記念年。どんなことがあってもこの年には再開しなければ、と地道な努力がなされました。

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3回から12年の間があき、本来の開催年から7年延びた、というだけではなく、この間の第二次大戦の6年間、人々は戦争という無差別殺人の脅威に晒されていたのです。しかも、ナチス・ドイツによってショパン音楽の演奏さえ禁じられていたポーランドの方たちの苦しみはいかばかりだったでしょう。心ある者たちは、地下でショパンの演奏会を開きますが、発見されれば問答無用で撃たれました。

この時のことを思えば、今回の1年延期など物の数ではないでしょう。いくら、恐ろしいウイルスとはいえ、ショパンを弾いただけで人の命を奪うことはありませんから。

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                                                      2015年第17回を会場で取材中、ショパン胸像と。

出場なさる若きピアニストの方々、ワルシャワまで応援に出掛けられるピアノ・ファンのみなさま、1年延期で済んだことを幸いと思い、来年の開催を楽しみに待ちながら、出場者の方はお稽古に励まれ、応援のみなさまは鑑賞力を高めておきましょう。

DSC_32462000年第14回の覇者ユンディ・リのサイン


第18回の出場者ですが、日本人ピアニストでは、次の31名の方々が予備予選を通過され、本大会にエントリーが決まっておられます。

古海行子、原沙綾、林雪乃、久末航、五十嵐薫子、井川華、今井理子、石田成香、伊藤順一、岩井亜咲、開原由紀乃、片田愛理、木村友梨香、小林愛実、黒木雪音、京増修史、三好朝香、水谷桃子、中川麻耶加、中村優以、野上真梨子、小野田有紗、斎藤一也、沢田蒼梧、重森光太郎、進藤実優、東海林茉奈、反田恭平、角野隼斗、竹田理琴乃、山縣美季(敬称略)

 このほか、2018年浜松国際コンクール第2位の牛田智大さんは予備予選が免除されているので、本大会から出場なさるようです。2019年チャイコフスキー国際コンクール第2位の藤田真央さんも予備予選免除資格を満たされていますが、2月にお会いした時には、多忙なスケジュールのうちに参加申し込み時期を逸した、とのお話でした。でも、1年延期によって、申込チャンスが巡ってくるかもしれません。 

 本日の1曲はショパン国際ピアノ・コンクール本選で課題とされる2曲の協奏曲のうちの、大多数のピアニストが選ぶ、ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11です。

 コンクール本選ライヴ盤では、第7回の優勝者マルタ・アルゲリッチ、第15回の優勝者ラファウ・ブレハッチのものをお聴きいただきたく思います。セッションでとったものとしては、第9回の優勝者クリスティアン・ツィメルマンが、ジュリーニ指揮で弾いている1978,79年のものと、自身の弾き振りでいれた1999年の究極の一枚がございます。どちらも第2番とのカップリングです。

                                      2020517日記