宮崎国際音楽祭から帰ってまいりました。第31回の今回は一昨年から音楽祭を率いる三浦文彰音楽監督のもと、宮崎神宮境内でのかがり火コンサートやオーケストラとバレエとの協演など、いくつかの新機軸が打ち出されました。
 メイン会場のメディキット県民文化センターには、3つのホールがあり、もっとも大きなコンサートホールには「アイザック・スターン・ホール」の愛称があります。
 それは、1996年に徳永二男前音楽監督がこの音楽祭を創設されたとき、その招きに応じて快く足を運んでこられ、第2回以降も毎年来日して音楽祭の支柱となられた巨匠への感謝と経緯を込めての命名です。それほど、スターンさんとこの音楽祭は深い絆で結ばれています。
 ところが、実は第1回の室内楽公演の初リハーサル時、スターンさんが血相を変えて席を立たれ、楽屋へ引き上げてしまわれるという大事件があったということを、今回、徳永前音楽監督が16日公演のプレトークで、今では懐かしい思い出として軽く触れられました。
 わたくしはそのことを初めて知りましたが、一瞬のお話だったので理解が追いつきませんでした。でもその後、地元の方たちとのお食事会の席で、当時を知る方がたのお話をうかがって、次の様な事が分かったのです。
 スターンさんは室内楽公演で、ブラームスの弦楽六重奏曲の第1ヴァイオリンを弾かれることになっていました。第2ヴァイオリンは徳永さんです。
                                
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 6名が席についていよいよ練習が始まり、最初の音が鳴った途端、スターンさんは手をとめて隣の徳永さんの譜面をのぞき込むや、たいそうご立腹のごようすで引き上げてしまわれたのです。
 スターンさんはてっきり、第2番だと思い込んでその準備をなさっていらしたのですが、皆さんの用意していたのは第1番でした。
 それがわかって、一同、真っ青になります。
 そこで、もしやこちらが「第2番をお願いします」と連絡していたかもしれないと、やり取りの記録を確認したところ、ちゃんと「第1番を」と依頼していた記録が確認でき、完全なスターンさんの勘違いとわかりますが、徳永さんは他の4名にこう言われたそうです。
「こちらのミスでないとしても、スターンさんに合わせるしかないよ」
 しかし、本番までには3日しかありません。それに第1番よりもマイナーな第2番の楽譜がすぐに手に入るのか。手立てを尽くし,八方探したところ、弦楽器奏者でもある県職員の方が個人でお持ちということがわかり、その方から急遽借り受けた譜面で5名は練習に励み、3日後の本番を無事に成功させたそうです。
 スターンさんもご自分の方が誤認していらしたことを認め、「すまなかった、ありがとう」とおっしゃられ、その提供楽譜にサインしてくださったということです。
 雨降って地固まる、ではございませんが、そんなこともあったおかげで、音楽祭とスターンさんの結びつきは強固なものとなり、2001年の第6回まで出演を続けられて、その年の9月22日に81歳で亡くなられたのでした。
 今ではまさに伝説となった30年前の出来事ですが、その時の徳永さん以下演奏家、スタッフの皆様方がどんなにか血の凍る思いをなさったことでしょうか。
 でも、そのハプニングに前向きに立ち向かって、災い転じて福となされたご健闘ぶりには、つくづく頭が下がります。
                             2026年5月18日記