昨日、ラジオでベートーヴェンの弦楽四重奏曲作品18の第4番を聴いて以来、曲の冒頭の緊迫感のある悲痛な主題が頭から離れません。ベートーヴェンがこれを書いた正確な年月日は不詳ですが、作品18の6曲全体の出版が1800年ですから、ウィーン時代初期、まだ18世紀のうちであったことは確かです。6曲中唯一の短調作品、それがハ短調であったことは彼のハ短調偏愛を早くも示していて、興味深いことです。
2013年に小学館より出版した拙著「宮澤賢治の聴いたクラシック」の中で、賢治がチェロ演奏願望を強く抱いて楽器を手に入れ習得に励んだこと、親友の音楽教師・藤原嘉藤次(ふじわら・かとうじ)もチェロを愛奏して弦楽四重奏迄組んでいたのに穴の開いたチェロしか持っていなかったので、病に倒れてもうチェロを弾けなくなったことを悟った賢治が、自身のまともな楽器とその穴あきチェロと交換してあげたことを綴りました。
そうしましたら、嘉藤次は賢治のチェロで精進して、仲間たちと、ベートーヴェンの作品18-4を演奏できるところまで漕ぎつけ、その演奏がラジオ放送されると賢治に知らせてきました。賢治は病床で懸命にラジオに耳を傾けて落涙し、友の作品18-4を絶賛したのです。
ベートーヴェンのハ短調は、やはり特別な調だと、それを書きながら思ったものでした。
ほかにも、このような「ベートーヴェンのハ短調」がございます。
2013年に小学館より出版した拙著「宮澤賢治の聴いたクラシック」の中で、賢治がチェロ演奏願望を強く抱いて楽器を手に入れ習得に励んだこと、親友の音楽教師・藤原嘉藤次(ふじわら・かとうじ)もチェロを愛奏して弦楽四重奏迄組んでいたのに穴の開いたチェロしか持っていなかったので、病に倒れてもうチェロを弾けなくなったことを悟った賢治が、自身のまともな楽器とその穴あきチェロと交換してあげたことを綴りました。
そうしましたら、嘉藤次は賢治のチェロで精進して、仲間たちと、ベートーヴェンの作品18-4を演奏できるところまで漕ぎつけ、その演奏がラジオ放送されると賢治に知らせてきました。賢治は病床で懸命にラジオに耳を傾けて落涙し、友の作品18-4を絶賛したのです。
ベートーヴェンのハ短調は、やはり特別な調だと、それを書きながら思ったものでした。
ほかにも、このような「ベートーヴェンのハ短調」がございます。
- 皇帝ヨーゼフ2世の薨去を悼むカンタータWoO87 (1791)
- ピアノ三重奏曲第1番 (1793)
- ピアノのためのプレスト、WoO 52(1795)
- ピアノのためのアレグレット、WoO 53(1796-97)
- ピアノソナタ Op. 10、No.1 (1795-98)
- ピアノソナタ Op. 13、「悲愴」 (1798)
- 弦楽三重奏曲 作品9-3(1798)
- ピアノ協奏曲第3番Op. 37 (1800)
- ヴァイオリン・ソナタ 第2番 作品30 (1802)
- 交響曲第3番変ホ長調作品55、~第2楽章「葬送行進曲」(1803年)
- 32の変奏曲 ハ短調WoO 80(1806)
- コリオラン序曲Op. 62 (1807)
- 交響曲第5番『運命』 作品67(1808)
- 合唱幻想曲作品80 (1808)
- ピアノソナタ第32番、作品111(1822)
2026年1月19日記

コメント
コメント一覧 (2)
私たちの世代ではブダペストSQ、バリリSQが双璧で、名演に聴き惚れたことを思い出します。ともに第3楽章の蠱惑的な第2ヴァイオリンも印象的でした。
たしかこの曲は初期弦楽四重奏の最後の作品で、、中期ラズモフスキー・セットへの飛躍を予感させる要のような曲と言えます。宿命の「ハ短調」であることも決して偶然とは思われません
記事を読みながらなつかしい想い出にひたらせていただきました。ありがとうございました。
yukiko3916
が
しました
yukiko3916
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