昨日の朝でしたか、今朝でしたか、ラジオ番組で、昨今インターネット検索時に真っ先に生成aiによる答えが明示される件について、何が問題なのかをわかりやすく報じていました。この生成ai回答は、どこかの会社がおこなっているサービス?で、一見、便利に見えますが、間違いやら、お腹を抱えて笑いたくなるような珍回答が多いことはどなたもご存知でしょう。
でも、笑ってばかりはいられないのが、生成aiによる回答の元ネタを苦労して書き上げ、公開しているすべての著作権者です。ことに、新聞各社は激怒して、生成ai回答をアップしている会社を訴えているそうです。
ラジオで語られた専門家によりますと、その論点は、大きく3つあるそうです。
第一は、手間暇コストをかけて取材したネタを勝手に使われ、著作権が侵害された。
第二は、生成aiの、情報の寄せ集め方と論理構成がめちゃくちゃなせいで誤回誤がつくりあげられた場合に、ネタ元として責任を負わされるのはたまったものではない。
第三は、生成ai回答で満足してしまった検索者が、その下に示されている元ネタまでクリックしないので、広告収入が激減した。どうしてくれる。
三つ目は、アッと思いましたが、一つ目と二つ目には同感しきりです。
特に、一つ目はたいへんよろしくないことと思っておりましたら、今日は、この問題に泣いた、アメリカの作曲家スティーヴン・フォスター(1825-1864)のご命日でした。
フォスターと言えば、誰もがよく知る『草競馬』『スワニー河』『峠の我が家』『なつかしのヴァージニア』『金髪のジェニー』などなど、大ヒットを飛ばした作曲家ですが、彼の生きた19世紀半ばは著作権法が整備されておらず、ミリオン・セラー作曲家は貧困に苦しみました。生活もすさんで、安宿の一室で体調不良で寝込んでしまい、ふらふらと起きて洗面台に向かったときに昏倒します。間が悪く、お顔か頭を洗面台にぶつけて洗面台が割れるほどの傷を負い、ひどい出血の中で倒れていたところを、だいぶ時間が経ってから発見されますが、その3日後、1864年の本日、1月13日に世を去りました。
37歳の若さでした。
所持品はわずか38セントの小銭と、次作タイトルらしき「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけであったと伝えられています。
彼の作品は、複数の出版社が競って出版し、楽譜は飛ぶように売れましたが、どの出版社も彼にはろくに、買取料も、印税というものがあったかどうかはわかりませんが、それも支払わなかったのです。
有名な「おおスザンナ」の場合、1848年〜1851年の3年間で16もの出版社が30種以上の楽譜を出版したといいます。当時は、最高販売部数がせいぜい5000部という時代でしたが、「おおスザンナ」は何と、10万部の大ヒットでした。
それなのに、どういう契約内容だったのか、フォスターの収入はわずか100ドルに過ぎなかったといわれているのです。
著作権法が確立されていて、きちんと印税が支払われていれば、このような最期を遂げることはなかったでしょう。いつ思い返しても、胸が痛みます。
生成aiも、爆発的普及時期だけに、それに対する法整備が遅れを取らないことが重要ではないでしょうか。
2026年1月13日記
でも、笑ってばかりはいられないのが、生成aiによる回答の元ネタを苦労して書き上げ、公開しているすべての著作権者です。ことに、新聞各社は激怒して、生成ai回答をアップしている会社を訴えているそうです。
ラジオで語られた専門家によりますと、その論点は、大きく3つあるそうです。
第一は、手間暇コストをかけて取材したネタを勝手に使われ、著作権が侵害された。
第二は、生成aiの、情報の寄せ集め方と論理構成がめちゃくちゃなせいで誤回誤がつくりあげられた場合に、ネタ元として責任を負わされるのはたまったものではない。
第三は、生成ai回答で満足してしまった検索者が、その下に示されている元ネタまでクリックしないので、広告収入が激減した。どうしてくれる。
三つ目は、アッと思いましたが、一つ目と二つ目には同感しきりです。
特に、一つ目はたいへんよろしくないことと思っておりましたら、今日は、この問題に泣いた、アメリカの作曲家スティーヴン・フォスター(1825-1864)のご命日でした。
フォスターと言えば、誰もがよく知る『草競馬』『スワニー河』『峠の我が家』『なつかしのヴァージニア』『金髪のジェニー』などなど、大ヒットを飛ばした作曲家ですが、彼の生きた19世紀半ばは著作権法が整備されておらず、ミリオン・セラー作曲家は貧困に苦しみました。生活もすさんで、安宿の一室で体調不良で寝込んでしまい、ふらふらと起きて洗面台に向かったときに昏倒します。間が悪く、お顔か頭を洗面台にぶつけて洗面台が割れるほどの傷を負い、ひどい出血の中で倒れていたところを、だいぶ時間が経ってから発見されますが、その3日後、1864年の本日、1月13日に世を去りました。
37歳の若さでした。
所持品はわずか38セントの小銭と、次作タイトルらしき「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけであったと伝えられています。
彼の作品は、複数の出版社が競って出版し、楽譜は飛ぶように売れましたが、どの出版社も彼にはろくに、買取料も、印税というものがあったかどうかはわかりませんが、それも支払わなかったのです。
有名な「おおスザンナ」の場合、1848年〜1851年の3年間で16もの出版社が30種以上の楽譜を出版したといいます。当時は、最高販売部数がせいぜい5000部という時代でしたが、「おおスザンナ」は何と、10万部の大ヒットでした。
それなのに、どういう契約内容だったのか、フォスターの収入はわずか100ドルに過ぎなかったといわれているのです。
著作権法が確立されていて、きちんと印税が支払われていれば、このような最期を遂げることはなかったでしょう。いつ思い返しても、胸が痛みます。
生成aiも、爆発的普及時期だけに、それに対する法整備が遅れを取らないことが重要ではないでしょうか。
2026年1月13日記

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