藤井一興氏といえば、我が国の1950年代生まれを代表する、世界に冠たる才能あふれるピアニストでいらっしゃいました。藝大 3年在学中、フランス政府給費留学生として渡仏なさり、パリ音楽院作曲科、ピアノ伴奏科に学んでどちらもプレミエ・プリの成績で卒業されました。メシアンご夫妻の薫陶も受けていらっしゃいます。
わたくしは、25年くらい前に、藤井氏がメシアンの『鳥のカタログ』から「ニワムシクイ」をテーマとしたリサイタルをなさるときにインタビューさせていただいて初めておめにかかり、メシアンご夫妻の貴重な思い出話もうかがい、ピアノとピアノ音楽についての、藤井氏ならではのご賢察に圧倒され、以後、時折、コンサートにうかがわせていただくなどして、含蓄に富んだ名言を耳にしてまいりました。
今年1月8日に豊洲シビックホールで開催されたフォーレ室内楽と自作ピアノ独奏曲によるコンサート「天よりささやく万華鏡」に伺えず、かえすがえすも残念なことをいたしました。
いらした方のお話によりますと、ご登場の足取りにはお元気がないながら、フォーレの「シシリエンヌ」、「パヴァーヌ」をフルートの柴園香さんと協演なさり、「即興曲5番」と「夜想曲6番」の独奏は中止され、組曲「マスクとベルガマスク」 を秦はるひさんと協演されて第一部終了。
第二部では、日本フォーレ協会委嘱作品である自作独奏曲「ピアノのためのモン・サン・ミシェル」を弾かれたあと、横坂源さんのチェロと組んで「エレジー」 に味わい豊かな演奏を披露され、次の、ピアノ三重奏曲では横坂さんのチェロ、浜匡子さんのヴァイオリンとともに、フォーレの詩情と香気を表現されたそうです。
締めはフルートとのデュオで「幻想曲」 op.79。
アンコールとして、フルートとピアノの「コンクール用小品」、及び、「夢のあとに」。
色とりどりの選曲はまさに、万華鏡の世界。いつもの藤井さんほどの精彩には及ばずとも、それでも、フランス音楽らしい音色と輝きは随所に健在だったようです。
ピアノはFAZIOLI。
その2日後、1月10日の大谷康子さんのデビュー50周年記念コンサートに参りましたら、ラヴェル『ツィカーヌ』のピアノの客演をキャンセルなさっておられたので、ご案じ申し上げていましたところ、1月18日にご逝去と、本日知り、暗澹!!といたしました。
「天よりささやく万華鏡」は、何と、亡くなる10日前の、最後の演奏遺産だったのです。
コンサート・タイトルが、きわめて神がかったネーミングであったのは、藤井さんにその予感があったためと、今にしてわかり、涙を禁じ得ません。
藤井氏は、天才と呼ぶにふさわしいお方でした。
話術も独特のものがおありで、ひきつけられました。
あの時、こうおっしゃった、この時こんな言葉を発された、と、多々思い返されますが、ひとつ、記させていただきます。
ある年のこと、いつもごひいきの、東京文化会館小ホールで、急にリサイタルをされることになったので、
「えっ、そんなにすぐ、リサイタルがなされますの?」
とびっくりいたしましたら、こうおっしゃったのです。
「あたしはね、若い時にrepertoryをいっぱいつくってあったの。だから、文化会館から急に、この日がキャンセルで空きました、といってきたので、じゃ、その日にお願いしますってすぐ言えたの。瞬間芸のようなものね。だからね、これからの人たちに言いたいのは、若くてまだ売れなくて時間のある時に、いっしょうけんめい、レパートリーをつくっておきなさい、ってことなのよ」
この御言葉が忘れられません。
藤井一興先生、どうぞ、お安らかに。
2025年1月21日記・1月23日加筆
わたくしは、25年くらい前に、藤井氏がメシアンの『鳥のカタログ』から「ニワムシクイ」をテーマとしたリサイタルをなさるときにインタビューさせていただいて初めておめにかかり、メシアンご夫妻の貴重な思い出話もうかがい、ピアノとピアノ音楽についての、藤井氏ならではのご賢察に圧倒され、以後、時折、コンサートにうかがわせていただくなどして、含蓄に富んだ名言を耳にしてまいりました。
今年1月8日に豊洲シビックホールで開催されたフォーレ室内楽と自作ピアノ独奏曲によるコンサート「天よりささやく万華鏡」に伺えず、かえすがえすも残念なことをいたしました。
いらした方のお話によりますと、ご登場の足取りにはお元気がないながら、フォーレの「シシリエンヌ」、「パヴァーヌ」をフルートの柴園香さんと協演なさり、「即興曲5番」と「夜想曲6番」の独奏は中止され、組曲「マスクとベルガマスク」 を秦はるひさんと協演されて第一部終了。
第二部では、日本フォーレ協会委嘱作品である自作独奏曲「ピアノのためのモン・サン・ミシェル」を弾かれたあと、横坂源さんのチェロと組んで「エレジー」 に味わい豊かな演奏を披露され、次の、ピアノ三重奏曲では横坂さんのチェロ、浜匡子さんのヴァイオリンとともに、フォーレの詩情と香気を表現されたそうです。
締めはフルートとのデュオで「幻想曲」 op.79。
アンコールとして、フルートとピアノの「コンクール用小品」、及び、「夢のあとに」。
色とりどりの選曲はまさに、万華鏡の世界。いつもの藤井さんほどの精彩には及ばずとも、それでも、フランス音楽らしい音色と輝きは随所に健在だったようです。
ピアノはFAZIOLI。
その2日後、1月10日の大谷康子さんのデビュー50周年記念コンサートに参りましたら、ラヴェル『ツィカーヌ』のピアノの客演をキャンセルなさっておられたので、ご案じ申し上げていましたところ、1月18日にご逝去と、本日知り、暗澹!!といたしました。
「天よりささやく万華鏡」は、何と、亡くなる10日前の、最後の演奏遺産だったのです。
コンサート・タイトルが、きわめて神がかったネーミングであったのは、藤井さんにその予感があったためと、今にしてわかり、涙を禁じ得ません。
藤井氏は、天才と呼ぶにふさわしいお方でした。
話術も独特のものがおありで、ひきつけられました。
あの時、こうおっしゃった、この時こんな言葉を発された、と、多々思い返されますが、ひとつ、記させていただきます。
ある年のこと、いつもごひいきの、東京文化会館小ホールで、急にリサイタルをされることになったので、
「えっ、そんなにすぐ、リサイタルがなされますの?」
とびっくりいたしましたら、こうおっしゃったのです。
「あたしはね、若い時にrepertoryをいっぱいつくってあったの。だから、文化会館から急に、この日がキャンセルで空きました、といってきたので、じゃ、その日にお願いしますってすぐ言えたの。瞬間芸のようなものね。だからね、これからの人たちに言いたいのは、若くてまだ売れなくて時間のある時に、いっしょうけんめい、レパートリーをつくっておきなさい、ってことなのよ」
この御言葉が忘れられません。
藤井一興先生、どうぞ、お安らかに。
2025年1月21日記・1月23日加筆
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