昨晩(5月30日・18:30開演、終演22:20くらい)の、新国立劇場、ダミアーノ・ミキェレット演出のモーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』を拝見しました。同プロダクションは、2011年初演、2013年に再演されて、今回は9年ぶり3回目の上演です。わたくしは9年前に見逃したため、初めて拝見して、驚くことの連続でした。
 第一の驚きは、時と場所が、18世紀ナポリから、現代のどこかの国のキャンプ場に移されていたことです。序曲が終わった幕が開くと、杉木立に囲まれた渓谷地の一角に、ログハウス風のキャンプ・ハウスが現われ、いかにも都会派の二人の青年が慣れない薪割りにチャレンジし、周りには、キャミソールにホットパンツの若い女性やら、tシャツにジーンズの若者が浮かれています。
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 やがて登場する二人の主役女性も、ソプラノはジーンズ、メゾソプラノはホットパンツ姿。
 キャンプ・ハウスには、オーナーの名前を取って、「camping Alfonso」のネオン。
 そこに働く女性が、デスピーナというわけです。
 この大胆な読み替えに、最初は戸惑いましたが、歌手たちのソロと、頻出するアンサンブルの質の高さと、回り舞台を駆使して、camping・ハウスは本物とほぼ同じに全体として建てられ全方向から内部の含めて活用されていること、本物のcamping・カーも登場してそれも最大活用されていること、など、舞台づくりの面白さに引き込まれていきました。
 さらに、キャンプ場の一部は本物の沢につくられ、青々とした水がたたえられて、そこに、主役4人が膝近くまで入って、本当の水遊びする演出にはどきりとしました。
 かと思えば、本物の?キャンプ・ファイアも。  
 このオペラには、人間の本質をあぶりだす、というテーマが張られていますが、原始に近い、うっそうとした木立の中、岩々の合間に沢地があり、焚火の火が赤々と燃え、そこに肌の多くを露出した軽装の男女が遊び戯れるという、解放感に溢れた状況設定が、人間の気持ちを原始に近いものに立ち返らせて、ふだん慎み隠していた本能的欲望が頭をもたげ、近代人らしくみせる常識や貞操観念をかなぐり捨てさせさせたらどうなるのか、を実証する、その見事な実験であることが次第に理解できました。
 ところで、2組のカップルの男性が自分たちの恋人の貞操を試し、試された女性二人も抵抗しながらも本来の恋人を裏切ってしまったら、4人は、元に戻れるのでしょうか。
 いや、これは、これこれこうこうだったのだよ、
 なあんだ。そうだったのね。ひどいわ。
 でも君だって、その気になったじゃないか。
 では、おあいこね。
 前より一層、君を好きになったよ。
 わたしもよ。

 いくらなんでも、それは無理だと、わたくしは思っておりました。 
 
 覆水盆に還らず。
 という言葉をミキェレットさんはよくご存じだったようです。
                                  2024年5月31日記