早熟の天才、フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)は14歳の1823年に最初の弦楽四重奏曲を書きました。その曲は作品番号も通し番号も付されていませんが、優れた作品です。通し番号を持つ6曲のうち、第3~5番は1837~38年に作曲され38年に作品44として一括出版されました。その後、彼はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者として多忙を極めながら、交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲、2つのピアノ・トリオ、オラトリオ『エリア』などの傑作を世に送ります。
しかし、1847年初め頃から神経症に苦しむようになり、5月14日の姉ファニー(1805年生まれ)の急逝が不調に追い打ちをかけます。
弟と同等の楽才があったといわれるファニーは、
「フェリックスが一音符も書かないうちから、彼がどんな曲を書こうとしているか、わたしにはよくわかるの」
と言ったほど、特別なテレパシーで弟と結ばれていた女性でした。

その姉の死に衝撃を受けた彼は、弟パウルに付き添われてスイスに静養旅行に出掛け、7月6日からインターラーケンのホテルに閉じこもって、ヘ短調の弦楽四重奏曲に着手し、9月に完成させました。
けれども、ライプツィヒ帰着後11月3日に突然意識を失い、翌日11月4日、38年と9カ月の一生を終えました。最後の大作となった弦楽四重奏曲第6番ヘ短調には、姉の死を最大の悲嘆事とする、メンデルスゾーンの最晩年の苦悩が、彼には珍しく直截な形で反映されていて、聴けば聴くほど、胸に迫ります。
この曲は姉への痛切な挽歌であるとともに、彼の最後の叫び、遺書です。
第1楽章:アレグロ・アッサイ―プレスト、ヘ短調。切迫感を掻き立てるトレモロの中からヴァイオリンが悲鳴を発し、それがやり場のない悲しみをこめた第1主題に発展します。第2主題は対照的にノスタルジックです。最後は不幸の影から全力疾走で逃れようとするかのようにテンポを速めて終わります。
第2楽章:アレグロ・アッサイ、ヘ短調。第1楽章の緊迫感をそのまま受け継いだ、激しいスケルツォ楽章。中間部ではヴィオラとチェロが不吉な音型をユニゾンで奏します。第1部が再現され、中間部を回想したのち弱音のピツィカートで終わります。
第3楽章:アダージョ、変イ長調。唯一の長調楽章とはいえ、ヘ短調に傾きがちです。チェロの下降句に導かれ、第1ヴァイオリンが透き通った哀しみを込めた主題を歌い出します。
第4楽章:フィナーレ、アレグロ・モルト、ヘ短調。チェロのトレモロにのって他の3者が激しいリズム・モティーフによる主題を開始し、このモティーフの執拗な積み重ねの上に第1楽章と同様の切迫感に満ちた音楽が展開され、そのまま突き進んで一気に全曲を結びます。
BISQC 2013 - Schumann Quartett - Felix Mendelssohn Quartet No. 6 in F minor (youtube.com)
2024年5月14日ファニーのご命日に記
コメント