昨日のブログに、藤原歌劇団の29年ぶりの新制作『ファウスト』を鑑賞したことを書きました。粒ぞろいのキャスト、時代感をよく表出した装置と衣装、芸術の香気ゆたかな照明と映像、程よいダンサーの配置、人間の心の明と暗に焦点を当てた演出、なにからなにまで申し分なく、近年の藤原歌劇団公演の中で最高と言えるプロダクションでした。
今日補足させていただきたいと思ったことは2点あります。ひとつは、このオペラは母国フランスでは作者グノーが原作そのままに『ファウスト』と題して、このタイトルで親しまれているのに対し、お隣ドイツでは敢えて『マルガレーテ』と呼ばれている事を、わたくしはこれまで、まあそんなものかしら、ドイツ人らしい矜持だなあ、と思っていましたけれども、このプロダクションを拝見したら、グノーだってちゃんと、原作の意図を汲んでいるのに……、と思えてきたことです。
原作は、ドイツが誇る大文豪ゲーテ。功成り名遂げた老博士ファウストが、それに満足せず、若さと快楽を求めたがゆえの悲劇を通じて人間の心の闇と葛藤を描きます。
その崇高な理念を、宝石に目が眩んだ女の末路的な安直なお涙ドラマに貶めたとして、ドイツ人はグノーを厳しく断罪し、このオペラに『ファウスト』のタイトルを冠することを許さず、世俗の欲望に負けた女主人公の名『マルガレーテ』としてしか認識しないふりをしています。女主人公の名はフランス語台本では、もちろん、マルグリートですが。
しかしながら、今回のプロダクションを鑑賞して、グノーも充分に、善良な女性の心にふと魔が差してこうなったこと、その悲劇はファウストの改心によって昇華されるという結末まできちんと描いているので、本作を『ファウスト』として認めてあげてもよいのではないかしら、と思った次第です。
もう一つは、演出のダヴィデ・ガラッティーニ・ライモンディさんの演出ノートに、はたと膝を打ちたい、珠玉のお言葉をみつけたことです。ご紹介いたします。
「演出は自己本位の主役であってはならず、舞台空間で生じるすべての事柄に対する徹底した調整役である。観客の気をそらせたり、また関心を別の方へ向けさせるとか、物語の理解から外れてしまうようなアイディアを求めることは無意味である」
2024年1月30日記
今日補足させていただきたいと思ったことは2点あります。ひとつは、このオペラは母国フランスでは作者グノーが原作そのままに『ファウスト』と題して、このタイトルで親しまれているのに対し、お隣ドイツでは敢えて『マルガレーテ』と呼ばれている事を、わたくしはこれまで、まあそんなものかしら、ドイツ人らしい矜持だなあ、と思っていましたけれども、このプロダクションを拝見したら、グノーだってちゃんと、原作の意図を汲んでいるのに……、と思えてきたことです。
原作は、ドイツが誇る大文豪ゲーテ。功成り名遂げた老博士ファウストが、それに満足せず、若さと快楽を求めたがゆえの悲劇を通じて人間の心の闇と葛藤を描きます。
その崇高な理念を、宝石に目が眩んだ女の末路的な安直なお涙ドラマに貶めたとして、ドイツ人はグノーを厳しく断罪し、このオペラに『ファウスト』のタイトルを冠することを許さず、世俗の欲望に負けた女主人公の名『マルガレーテ』としてしか認識しないふりをしています。女主人公の名はフランス語台本では、もちろん、マルグリートですが。
しかしながら、今回のプロダクションを鑑賞して、グノーも充分に、善良な女性の心にふと魔が差してこうなったこと、その悲劇はファウストの改心によって昇華されるという結末まできちんと描いているので、本作を『ファウスト』として認めてあげてもよいのではないかしら、と思った次第です。
もう一つは、演出のダヴィデ・ガラッティーニ・ライモンディさんの演出ノートに、はたと膝を打ちたい、珠玉のお言葉をみつけたことです。ご紹介いたします。
「演出は自己本位の主役であってはならず、舞台空間で生じるすべての事柄に対する徹底した調整役である。観客の気をそらせたり、また関心を別の方へ向けさせるとか、物語の理解から外れてしまうようなアイディアを求めることは無意味である」
2024年1月30日記
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