ベートーヴェン唯一のヴァイオリン協奏曲は1806年に作曲され同年12月に初演されました。初演時のソリストはフランツ・クレメントという方ですが、ヴィルトゥオーゾ・タイプのヴァイオリニストでなかったようです。そのせいかどうか、初演時にはあまり評判になりませんでした。この曲が脚光を浴びるのはベートーヴェン没後の1844年5月にヨーゼフ・ヨアヒムがメンデルスゾーンの指揮でこれを再演して以来のことです。
ヨアヒムは1831年の本日、6月28日生まれですから、このとき、なんと12歳11ヶ月。この前年にメンデルスゾーンのオーディションを受けたとき、メンデルスゾーンはこう言っています。「モーリッツ・ハウプトマンについて対位法を勉強するとよい。技術的なレッスンはこれ以上必要ないから、時々、ダーフィトにきいてもらって助言を受けなさい。わたしは、君と定期的に協演して、芸術的な問題の顧問になろう」
そんなメンデルスゾーンの指揮で、当時、さほどよい曲と思われていなかったベートーヴェンの協奏曲を圧倒的見事さで弾いて、たちまち不滅の大傑作の地位に押し上げてしまいました。12歳の少年が・・・。
他にこの方の話題は多々ございまして、おいおい書いてまいります。今日は、このカルテットの写真をご覧いただきたく思います。
カルテットは晩年の活動ですが、1905年にはロンドン、パリ、ローマの各都市で連続5日間にわたるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏も実現させています。ただし、あまりにもヨアヒムが大ソリストすぎて、どなたかの言葉を借りれば「3人の忠誠心の見本」のようなカルテットだったそうです。ところで、この配置にご注目ください。どこかでみたような並び順です。
そうなのです。古典四重奏団と同じ、対向配置だったのです。写真向かって左から、第一ヴァイオリンのヨーゼフ・ヨアヒム、チェロのロベルト・ハウスマン、ヴィオラのエマヌエル・ヴィルト、第二ヴァイオリンのカレル・ハリーシュ。
2023年6月28日記
ヨアヒムは1831年の本日、6月28日生まれですから、このとき、なんと12歳11ヶ月。この前年にメンデルスゾーンのオーディションを受けたとき、メンデルスゾーンはこう言っています。「モーリッツ・ハウプトマンについて対位法を勉強するとよい。技術的なレッスンはこれ以上必要ないから、時々、ダーフィトにきいてもらって助言を受けなさい。わたしは、君と定期的に協演して、芸術的な問題の顧問になろう」
そんなメンデルスゾーンの指揮で、当時、さほどよい曲と思われていなかったベートーヴェンの協奏曲を圧倒的見事さで弾いて、たちまち不滅の大傑作の地位に押し上げてしまいました。12歳の少年が・・・。
他にこの方の話題は多々ございまして、おいおい書いてまいります。今日は、このカルテットの写真をご覧いただきたく思います。

そうなのです。古典四重奏団と同じ、対向配置だったのです。写真向かって左から、第一ヴァイオリンのヨーゼフ・ヨアヒム、チェロのロベルト・ハウスマン、ヴィオラのエマヌエル・ヴィルト、第二ヴァイオリンのカレル・ハリーシュ。
2023年6月28日記
コメント
コメント一覧 (2)
もとよりヨアヒムの音楽的な力量と存在感が際立っていたことは確かですが、技巧的に衰えた晩年のヨアヒムを引き立たせるために配慮したことが、このような評になっているものと思われます。
ヨアヒムは、シュパンツィッヒに替わってOp127の初演を成功させ楽聖に称賛されたというヨゼフ・ベームの直弟子で、その四重奏団はいわばベートーヴェンの弦楽四重奏演奏の伝統を引き継ぐものと言えるでしょう。ご指摘の対向配置をはじめ、汲み取るべきものが多々あると思います。
yukiko3916
が
しました
ヨアヒム大先生がご存命でしたら、対向配置の妙をぜひ伺ってみたいところでした。カルトットは奥が深いです。
yukiko3916
が
しました