1825年の春、ベートーヴェンは病の床に就きます。このときは持ち直したものの、翌26年も体調不良が続き、7月には最愛の甥カールの自殺未遂事件という彼の生涯の最大の痛恨事が起きます。こうした心身ともに最悪の状態の中で、彼は、誰からの依頼、つまり委嘱、もしくは注文作品でもない弦楽四重奏曲第14番作品131を完成させました。ベートーヴェンはこれを、身なりに無頓着な自分のために、人前に出ても恥ずかしくないようにと、黙って新しい上着をこしらえてくれた、長年仲良しの仕立てやヴォルフマイアーくんに献呈しようと考えたのですが、カールの事件が起こっていて、命を取り留めたカールがどうしても軍隊に入りたいと言い、その希望をかなえてくれた、第八歩兵連隊長のシュトゥターハイム男爵に、感謝を込めて、この人類史上の最高の宝石を贈ることにしました。
ヴォルフマイヤーくん、ごめんなさい。
でも、もう一つ、書いてきみにあげるからね。

こうしてベートーヴェンは作品135に取り掛かりました。そして同年秋から滞在したウィーン西方、弟ヨーハンのグナイクセンドルフの屋敷で第16番ヘ長調作品135を完成させることができました。この、最後の弦楽四重奏曲は、悲願通り、仕立てやヴォルフマイヤーくんに献呈されることになります。
しかし、12月2日にウィーンへ戻ろうとして、幌なし馬車に長時間揺られたために高熱を伴う肺炎を起こし、そのあと強い黄疸症状が出て翌1827年3月26日に永眠しました。
ですので、作品135は、まとまった完成作としては彼の最後の弦楽四重奏曲です。後期作品の中ではもっとも規模が小さく、各楽章は簡潔な書法で書かれ、平易な楽想を持っていますけれども、聴けば聴くほど面白く感じられます。
第2楽章の、異様にテンションの高いベートーヴェンはいったい、どうしてしまったのでしょう。
後半、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがユニゾンで進む中、第1ヴァイオリン唯一人が、大はしゃぎして飛び跳ねるところ、作曲者の常軌を逸した精神の高揚を映し出しているようで、胸を衝かれます。
でも、彼ははっと自分を取り戻し、崇高極まりない歌を静かに歌い始めるのです。これもまた、彼の真実の姿。そしてあの、謎めいた終楽章で解脱の境地を迎えます。
わたくしは、かつては、厳しく屹立する最高作、第14番嬰ハ短調作品131を献呈されたシュトゥターハイム男爵のほうが役得をなさったかしら、と思っていましたけれども、よく聴けば、人生の笑いと涙の総決算、第16番作品135をいただかれた仕立てやさんは、その無私の貢献に、たくまずして報われたのではなかったかと納得するようになりました。
さて、もしも、どちらかをあなたにあげましょう、と言われたら、さあこまります。嬉しすぎてお答えできない気がいたします。皆様はいかがですか?
2023年6月26日記
コメント
コメント一覧 (4)
どちらも晩年のベートーヴェンらしいですね。もう献呈には、恋愛とか経済的なものとか
そういうことは一切関係なくて、これらはそれこそ自分自身に献呈したような作品ですからね。
けれどもそこはベートーヴェン、義理堅いこころ、感謝のこころ、友情に関しては、何の分け隔ても
ないんですよね。
確かに14番は、懊悩→回想→闘い!みたいなところがありますから、第八歩兵連隊長さん向きで
16番は、最後の魂の躍動や鎮静、重い決断を含みつつも、ヘ長調の素朴な親しみやすさに包まれていますから、
仕立屋さんに向いているかも知れません。(笑)
ベートーヴェン、ご免なさい。敬意を表して!
yukiko3916
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2曲の性格分析、おっしゃるとおりで、たしかにそれぞれの献呈相手にふさわしい気がいたします。
聴けば聴くほど、どちらも名曲すぎて、132も大フーガつき130も大変結構で、ほかにもあれもこれもよくて、ああ、どうしましょう。
yukiko3916
が
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今回は挿絵がほのぼの系なので、ん?と思いましたが、楽聖晩年の「ちょっといい話」によるエピローグですね。
第14番の献呈先は、いかにベートーヴェンが甥カールを溺愛していたかを思うと涙ぐましいものがあります。(献呈された方はこの神品の価値を理解していたとは思われませんが・・・。)後期カルテットを締めくくる最後の名品が、世話になった仕立て屋さんにおくられたというのも楽聖の温かい人間味をしのばせます。
どなたかがコメントしていましたが、絶筆となった第13番の新しいフィナーレが盟友シュパンツィッヒへの思いを込め、渾身の大フーガとは別にあえて書かれたというのも凄い話です。この曲が、第14番の終曲、大フーガにおける第一フーガともどもギャロップであることにも興味をひかれます。
第13番の新フィナーレの果てしなく無窮動のように続く音楽が最後に突如「軽み」のごとく終結すること、第16番の最後が天上的なピツィカートのあと上行音型による力強い「肯定」で結ばれること、ともに楽聖の到達した最後の境地を思わせ胸を打たれるものがあります。
yukiko3916
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yukiko3916
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