1822年の11月、ロシア貴族、ガリツィン公爵もしくは侯爵は、ベートーヴェンに次のような手紙を書き送りました。「熱意あるアマチュア演奏家にして、貴殿の才能を賛美する者として、勝手ながらひとつ、2曲、あるいは3曲の書き下ろしの弦楽四重奏を作曲されるおつもりはないかとお尋ねすべくペンをとっています。このお手間に対して貴殿がふさわしいとお考えの金額であれば、いくらなりとも喜んでお支払いしましょう」
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 こちらの肖像画のガリツィン公爵(侯爵)は、意外にお若くて、1794年生まれ。弦楽四重奏曲セットを依頼なさったときはまだ28歳。ラズモフスキー伯爵が1752年生まれのベートーヴェンより18歳年長者であるのに対し、ガリツィン公爵は14歳近く年下です。かねてベートーヴェンを尊敬していた彼はチェロを愛奏して弦楽四重奏団のチェロ席に坐ったほどのアマチュア演奏家でした。
 このお手紙を受け取ったベートーヴェンのほうは、前作、第11番『セリオーソ』を1810年に書いたあと、12年間も弦楽四重奏曲から遠ざかっていました。しかし、第九も『ミサ・ソレニムス』も書き終えて解脱の境地に達していたのか、再び、弦楽四重奏曲を書いてみようと決心するのです。
 こうして、ガリツィン公爵(侯爵)の依頼に応じて書かれたのが、第12番作品127変ホ長調、第15番作品132イ短調、第13番作品130変ロ長調、の3作でした。それゆえ、この3作は「ガリツィン・セット」と呼ばれることもございます。
 このところ、古典四重奏団の全集を拝聴させていただいたことにより、この「ガリツィン・セット」の値打ちにあらためて感嘆すると同時に、ベートーヴェンにこれを依頼してくださった、ガリツィン公爵
(侯爵)に感謝の念を湧きあがらせております。この方が依頼なさらなかったなら、ベトーヴェンの弦楽四重奏曲は、もしかしたら『セリオーソ』までで終わっていたかもしれませんから。
 作曲料の支払いを巡って、いくらかトラブルはあったようですが、何はともあれ、自身もチェリストであつた音楽のパトロンが存在したことをありがたく思っております。
 中期の「ラズモフスキー・セット」の依頼主ラズモフスキー伯爵もヴァイオリンでしたか、優れた弦楽器演奏家であったということで、昔のロシア貴族の音楽的教養の高さが偲ばれます。
 今のロシアの中枢部のお方たちはどうなんでしょうか?
 音楽に親しまれたことがないのでしょうか? そんなはずはないでしょうに……。
 昔の貴族をみならって、一日も早く、武器を楽器に持ち替えていただきたいものでございます。
 
  ところで、古典四重奏団の「ガリツィン・セット」では、やはり、第15番作品132にもっとも共感いたしました。
                                  2023年6月22日記