本日は小平楽友サークルの開催日で、現在進行中の「20世紀の名演奏家シリーズ」第8回として「マリア・カラスとルチアーノ・パヴァロッティ」を採り上げました。カラスのほうは1923年12月2日生れですので、生誕100年の今年はことに脚光をあびてよい演奏家ということになります。
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 しかしこの方がオペラのプリマドンナであった時期は短くて、ヴェローナでポンキエッリの『ジョコンダ』を歌ってイタリア・デビューしたのが1947年、『シチリア島の夕べの祈り』のエレーナ公女でスカラ座初登場が1951年、『ノルマ』の二重唱でコッソットとの一騎打ちに負けてオペラ引退したのが1965年ですから、わずか18年間のイタリア・オペラ活躍期であって、全盛期に限れば12~13年ほどだったわけです。
 コッソットに敗れる日に向かっての声の凋落期、落日期は、オナシスとのゴシップ期に重なります。
 マリアには、無名時代から支えてくれた28歳年上の夫メネギーニがいましたが、メネギーニはマリアを自由の身にしてくれず、その間、世界中からの好奇の視線にさらされる中でマリアの喉は急激に衰えていきました。
 ついに引退に追い込まれた時になって、ようやくメネギーニは離婚に同意しますが、今やプリマドンナでなくなったマリアはオナシスにとって何の価値もありませんでした。彼があっさりとマリアを捨てて選んだ相手が、ジャクリーン・ケネディだったことは周知の通りです。
 マリアがどれほどの屈辱にまみれたか、胸が痛くなります。
 その後、マリアを気の毒に思ったテノールのディ・ステファノがリサイタル・ツァーにつきあってくれましたが、そのことで彼の家庭は壊れています。マリアとステファノが日本に来たのは1974年。同年11月11日の札幌厚生年金会館リサイタルが、全世界を魅了した「スカラ座の女王」の最後のステージとなりました。
 マリア・カラスの、謎に包まれた53歳の死は1977年のことです。  
 そんなマリアの意外に数少ない映像から、『セビリアの理髪師』ロジーナのアリア『今の歌声は』、『ドン・カルロ』エリザベッタのアリア『世のむなしさを知る神』、『カルメン』のハバネラとセギディーリャ、『トスカ』の『歌に生き恋に生き』、『ジャンニ・スキッキ』ラウレッタの『わたしのお父さま』を鑑賞し、おそろしいまでのカリスマ性、表現の多様さ、役への没入度の深さに、皆様と共に感嘆いたしました。
 パヴァロッティは1935年生まれ、マリアより一回り年下ですが、2007年に71歳で病没されましたので、今としたら、短めのご生涯でした。
 『帰れ、ソレントへ』『星は光りぬ』、『ボエーム』ロドルフォの『冷たい手を』、レオンカヴァッロ『パリアッチョ』の『衣裳を付けろ』、最後に『誰も寝てはならぬ』を聴いて、聴く者を幸せな気分にさせる人懐こい笑顔と底知れないテノールの響きに酔いました。
 パヴァロッティと言えば「キング・オブ・ハイ・ツェー」の尊称で有名ですが、この方ご自身は「高い声がでなくても、よい歌は歌える」おっしゃったそうで、蓋し、名言と思いました。
                                   2023年6月21日夏至の日に記