日本洋楽界の先駆者、幸田延先生は昭和21年6月14日に76歳の生涯を閉じられました。本日は没後77年のご命日にあたります。わたくしが、延先生と妹の安藤幸先生のダブル評伝『幸田姉妹』を出版させていただいたのが2003年でしたので、早くもそれから20年が経ちました。
この20年の間に『幸田姉妹』執筆当時には調べきれなかったさまざまなことも、少しずつわかってまいりました。それらのことどもをよく噛みしめて、延先生のご生涯と人物像に、より密に、アプローチさせていただいております。調べれば調べるほど、優れたお方であられたこと、余人の体験しえない世界をあの時代に早くも体験されて、その成果を花開かせた、聡明なお方だったと、感嘆することしきりでございます。
ここに掲載させていただいた、池上本門寺墓所の幸田延のお墓写真は、昨年2022年の6月14日にお墓参りさせていただいた時撮影したものです。梅雨空のわずかな雨やみの時間でした。斜め後ろに、本門寺五重塔の一部が写っております。この一画に、露伴一家や、郡司成忠さまご一家のお墓がございます。
2023年6月14日記
この20年の間に『幸田姉妹』執筆当時には調べきれなかったさまざまなことも、少しずつわかってまいりました。それらのことどもをよく噛みしめて、延先生のご生涯と人物像に、より密に、アプローチさせていただいております。調べれば調べるほど、優れたお方であられたこと、余人の体験しえない世界をあの時代に早くも体験されて、その成果を花開かせた、聡明なお方だったと、感嘆することしきりでございます。
ここに掲載させていただいた、池上本門寺墓所の幸田延のお墓写真は、昨年2022年の6月14日にお墓参りさせていただいた時撮影したものです。梅雨空のわずかな雨やみの時間でした。斜め後ろに、本門寺五重塔の一部が写っております。この一画に、露伴一家や、郡司成忠さまご一家のお墓がございます。
2023年6月14日記
コメント
コメント一覧 (2)
萩谷先生の名著「幸田姉妹」により、本邦最初の音楽留学生にして、ピアノ、ヴァイオリン、声楽、作曲に通じ、瀧廉太郎、山田耕筰、本居長世、久野久、三浦環らを育てたわが国西洋音楽の源流ともいうべき偉大な存在であることを知りました。それにしても、同じ墓域に眠る幸田露伴をはじめとする幸田一族が近代日本の進展に果たした功績は計り知れないものがあります。
今日15日はコルトーの61年目の命日で、来日時ゆかりの下関市川棚では、胸像の前で好物だったというサクランボをいただき大ピアニストを偲ぶ「コルトー桜桃忌」が毎年行われています。太宰治の「桜桃忌」は、6月19日。幸田延先生の命日は、日本原産であるアジサイにちなみ「紫陽花忌」と名付けたいところですね。
yukiko3916
が
しました
延のご命日を、「紫陽花忌」と名づけてくださり、ありがとうございます。
実は、お名前をあげてくださった滝廉太郎も、明治36年1903年6月29日に、23歳と10カ月の生涯を閉じています。
延は、廉太郎の才を早くから認め、研究科時代には彼をピアノ伴奏者にも抜擢し、没後は早世を惜しんで、自身の作曲作品に滝の記念碑を音で刻みました。
このブログの、しかもこのコメント欄限定のないしょのお知らせですが、それらの詳しい話もとりあげた、延の世界初の単独評伝『幸田延』をもうすぐ刊行いたします。
yukiko3916
が
しました