エリアス弦楽四重奏団の演奏、素晴らしかったことでしょう。個人的にはラズモフスキーの第二番ホ短調が聴きたかった。初夏から真夏にかけて、いつもそうです。
さて、今朝は、いささか蛇足になるかとも思ったのですが、忘れぬうちに付け加えておきますと、16番は第一楽章の冒頭にも、このMuss es sein? Es muss sein! Es muss sein! の問いと応えは、いわば予告編のように暗示されているということです。ご確認いただけますでしょうか?
曲の冒頭ですから、いともサラッと恬淡として、飄々と導入していますが、何とその後にチェロに現れるピッツィカートは終楽章最後の解決に現れるあの空中にかかる虹のようなピッツィカートをさえ暗示しているように思われます。それだけベートーヴェンにとりこの“Es muss sein! ”の最後の弦楽四重奏曲は、必然のものであったのだと感じられます。
これも一つの仮説。思考実験の類いとお聞きください。
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さて、今朝は、いささか蛇足になるかとも思ったのですが、忘れぬうちに付け加えておきますと、16番は第一楽章の冒頭にも、このMuss es sein? Es muss sein! Es muss sein! の問いと応えは、いわば予告編のように暗示されているということです。ご確認いただけますでしょうか?
曲の冒頭ですから、いともサラッと恬淡として、飄々と導入していますが、何とその後にチェロに現れるピッツィカートは終楽章最後の解決に現れるあの空中にかかる虹のようなピッツィカートをさえ暗示しているように思われます。それだけベートーヴェンにとりこの“Es muss sein! ”の最後の弦楽四重奏曲は、必然のものであったのだと感じられます。
これも一つの仮説。思考実験の類いとお聞きください。
yukiko3916
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ところで、この季節にラズモフスキー2番を愛されるというのは、興味深いお話です。先夜のエリアスSQでは、3楽章がすばらしゅうございました。
yukiko3916
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このエピソードで興味深いのは、女中との給金のやり取りなど様々な俗説があるこの応答が、実は、第12,13,15番の初演者であるシュパンツィッヒ絡みのものだったということです。でぶっちょ、などとからかいながらも楽聖はシュパンツィッヒに対し深い感謝の思いを持っていたのでしょう。
私はこれまで、楽聖が第13番の大フーガを差し替えたことが理解できませんでした。第13番は大フーガが終楽章にあってこその構成の曲で、ベートーヴェンが周囲の意見によりこれを改めるなどということは考えられないことです。
しかし、大フーガで失敗したシュパンツィッヒらの懇望を受け、新しい視点で第13番の構想を見直し、第16番のあと生涯最後の曲として新たな終楽章を書いた最晩年のベートーヴェン。「ようやくついた決心」というのも示唆的で、終楽章を貫く、明るい「肯定」の精神は、楽聖の最後に到達した境地をあらわすかのようです。
エリアスSQは、今回、大フーガと新たな終楽章での二つの「第13番」を演奏するようですが、あえて別の曲として挑戦する試みに対し、「Es muss sein」の拍手を 送りたいと思います。
yukiko3916
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yukiko3916
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