ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』は1865年の本日、6月10日にミュンヘンのバイエルン宮廷歌劇場で、ワーグナーの最高協力者、ハンス・フォン・ビューローの指揮によって初演されました。この初演は、いくつもの角度から注目さるべき事件であったように思います。
第一に、音楽史の上で申せば、冒頭のトリスタン和音と呼ばれる和音が画期的であったことでした。この和音は、和声学でいう「導七の和音」、あるいは「減五短七の和音」の一種と説明がつくようではございますが、1919年に、エルンスト・クルトさんとおっしゃる学者が「ワーグナーの《トリスタン》におけるロマン派の和声法とその危機」なる論文上で、この和音は西洋音楽史における機能和声の崩壊の象徴的存在である、と論じたことから、音楽史の分水嶺的な和音として有名になったのでした。
しかしながら、和声学を持ち出すまでもなく、ある種の陶酔と官能的気分を誘われる不思議な和音であることは、お聴きいただくと瞭然でございます。
第二は、この楽劇の創作過程でワーグナーはパトロン、オットー・ヴェーゼンドンクの妻マチルデと、出口のない恋愛に陥っていて、そのやり場のない情熱、成就不可能な愛がこの作品の執筆原動力になったことです。
第三は、初演に至る道のりは苦難の連続でようやく初稽古を迎えたその朝に、ビューローの妻コージマが生んだ三女こそ、ワーグナーの子どもであったという、三人の男女を巡る関係の象徴性に彩られている点です。
そして四番目に印象的な出来事というのは、初演でトリスタンを見事に創唱し、ワーグナーを狂喜させた、ヘルデン・テノール、ルードヴィヒ・シュノル・フォン・カルロスフェルトが、わずか39日後の7月19日に、29歳の若さで突然死してしまったことでした。
シュノルは著名画家ユリウス・シュノル・フォン・カルロスフェルトの息子として1836年2月21日にミュンヘンに生まれ、1858年にカールスルーエでデビュー、ドレスデンのゼンパーオーパーやミュンヘン宮廷歌劇場で、『ノルマ』『魔弾の射手』などに出演しました。この間の1860年、24歳のときに10歳年上のデンマーク生まれのポルトガル人ソプラノ、マルヴィーナ・ガリゲスと結婚していました。このマルヴィーナが夫との協演でイゾルデを創唱したのです。シュノル夫妻こそ、理想的な『トリスタンとイゾルデ』であったとされます。
ワーグナーとしてはこれからもシュノルに自作のテノールを歌っていってもらえるものと期待していましたので、シュノルの死は彼に大打撃を与えました。
シュノルの29歳5カ月の早すぎる死の原因は、舞台で隙間風に当たって悪寒を発し、急性リューマチのような症状となってそのまま脳卒中をおこしたことによるもので、ヘルデンテノールにふさわしい立派過ぎる体格も一因だったのでは、と、いわれています。とすれば、職業病と言えるかも存じません。ご冥福を心よりお祈りいたします。
本日、ずっと聴いております『トリスタンとイゾルデ』はこちらです。
(167) ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》全曲 フルトヴェングラー指揮/フラグスタート - YouTube
2023年6月10日記
第一に、音楽史の上で申せば、冒頭のトリスタン和音と呼ばれる和音が画期的であったことでした。この和音は、和声学でいう「導七の和音」、あるいは「減五短七の和音」の一種と説明がつくようではございますが、1919年に、エルンスト・クルトさんとおっしゃる学者が「ワーグナーの《トリスタン》におけるロマン派の和声法とその危機」なる論文上で、この和音は西洋音楽史における機能和声の崩壊の象徴的存在である、と論じたことから、音楽史の分水嶺的な和音として有名になったのでした。
しかしながら、和声学を持ち出すまでもなく、ある種の陶酔と官能的気分を誘われる不思議な和音であることは、お聴きいただくと瞭然でございます。
第二は、この楽劇の創作過程でワーグナーはパトロン、オットー・ヴェーゼンドンクの妻マチルデと、出口のない恋愛に陥っていて、そのやり場のない情熱、成就不可能な愛がこの作品の執筆原動力になったことです。
第三は、初演に至る道のりは苦難の連続でようやく初稽古を迎えたその朝に、ビューローの妻コージマが生んだ三女こそ、ワーグナーの子どもであったという、三人の男女を巡る関係の象徴性に彩られている点です。
そして四番目に印象的な出来事というのは、初演でトリスタンを見事に創唱し、ワーグナーを狂喜させた、ヘルデン・テノール、ルードヴィヒ・シュノル・フォン・カルロスフェルトが、わずか39日後の7月19日に、29歳の若さで突然死してしまったことでした。
シュノルは著名画家ユリウス・シュノル・フォン・カルロスフェルトの息子として1836年2月21日にミュンヘンに生まれ、1858年にカールスルーエでデビュー、ドレスデンのゼンパーオーパーやミュンヘン宮廷歌劇場で、『ノルマ』『魔弾の射手』などに出演しました。この間の1860年、24歳のときに10歳年上のデンマーク生まれのポルトガル人ソプラノ、マルヴィーナ・ガリゲスと結婚していました。このマルヴィーナが夫との協演でイゾルデを創唱したのです。シュノル夫妻こそ、理想的な『トリスタンとイゾルデ』であったとされます。

シュノルの29歳5カ月の早すぎる死の原因は、舞台で隙間風に当たって悪寒を発し、急性リューマチのような症状となってそのまま脳卒中をおこしたことによるもので、ヘルデンテノールにふさわしい立派過ぎる体格も一因だったのでは、と、いわれています。とすれば、職業病と言えるかも存じません。ご冥福を心よりお祈りいたします。
本日、ずっと聴いております『トリスタンとイゾルデ』はこちらです。
(167) ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》全曲 フルトヴェングラー指揮/フラグスタート - YouTube
2023年6月10日記
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