ドイツのヴァイオリニスト、ルイ・シュポーア(1784~1859)はベートーヴェンとも親交のあった、その時代を代表する音楽家の一人でした。彼は1805年に、ゴーダ大公の宮廷楽団の首席ヴァイオリニストに召し抱えられ、就任あいさつに同地の主だった音楽家を訪ねた時に、ゾフィ―・エリザベート・シャイドラーという、女性宮廷歌手の家で娘のドロテーア・ヘンリエッテ、通称ドレッテ(1787.6.2~1834.11.20)と知り合います。
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 ドレッテの亡き父も音楽家でした。
 このときまだ18歳のドレッテは才能あふれるハープ奏者でした。シュポーアは彼女の楽才と愛らしい容姿のとりことなり、1806年2月2日に彼女と結婚しました。
 二人はデュオを組んで演奏旅行を重ねます。
  シュポーアは妻とのデュオ用に、ヴァイオリンとハープの二重奏曲をいくつも作曲し、ハープの独奏曲も書きました。ドレッテの母がピアニストとして同行することもありました。
 しかし、すぐに第一子、第二子……が生まれ、ドレッテの母に子どもたちを預けて演奏旅行に出なければなりませんでした。でも、それはドレッテにとって非常につらく、気の進まないことでした。彼女はハーピストとして極めて高い技術を持っていましたのに、当時、ハーブがシングル・アクションからダブル・アクションに切り替わる時期にあたったため、その乗り換えにも悩みに悩みます。
 思い余って、一時期はハープから、これもお得意だったピアノに転じますが、ドレッテはやはりハープが好きでした。そこで、夫の勧めもあって、ダブル・アクション・ハープに切替える決心をしてストレスの多い練習に励みます。新機種への乗り換えは想像以上の負担で、だんだんと心身を弱らせた彼女は、1834年11月に47歳の若さで世を去りました。
 死因など、詳しいことは明らかではないのですが、せっかく第一級のハーピストであったのに、このような形でキャリアを終わらせたことが、わたくしにはお気の毒でなりません。
  夫のシュポーアも、彼女の演奏家としてのキャリアを応援するあまり、演奏旅行をともにすることを妻に期待し、ダブル・アクション・ハープへの乗り換えも勧めたのでしょう。しかし、それだけではなく、ヴァイオリンとハープの二重奏が各地で評判をとったので、妻にハープを弾いてもらわないと人気に差し障ったという一面もあったものと想像されます。でも、ドレッテにとっては、妻として母としての生活と、演奏家生活の両立は、夫の想像以上に困難だったと思われます。
 クララ・シューマンのような、強靭なメンタルを持ち合わせていなかったところへ、楽器改良ゆえの新機種の技術習得、という重荷が重なったのは悲運でした。
 彼女のハープ演奏がどのようなものであったか、想像するしかありませんが、きっと、
やさしい人柄の滲む、繊細な感情表現にみちた、やわらかな音色だったと思うのです。
                                2023年4月29日記