1948113日、プロコフィエフは、もう7年も前からいっしょに暮らしているミーラ・メンデリソンと「結婚」しました。ソ連邦の裁判所の裁定では、リーナとの結婚はそもそもなかったことになるので、二人は初婚同士の、花嫁、花婿というわけです。
 彼の正式結婚が既定の事実となってほぼ一カ月後の1948年2月20日。
「お届け物がきています。受け取ってください」 
 寒い中、こう知らされて、アパルトマンの一階までコートも羽織らず受け取りに降りたリーナは、いきなり官憲に身柄を取り押さえられ、そのまま車に押し込められて秘密警察に連行されたのです。
 スパイ容疑でした。
 口実は、旅券を不正に入手しようとしていたこと、外国に送金しようとしたこと。
 アパルトマンは家宅捜索を受け、あらゆる、価値のあるものが押収されました。
 二人の息子は、母親の危機を父親に知らせるべく、真冬の雪道を郊外まで一晩中歩き、プロコフィエフとミーラの暮らす家にやっとのことでたどり着きます。
 息子たちの話をきいたプロコフィエフは真っ青になり、大慌てでミーラとともに、家じゅうのスパイ容疑のかかりそうなものの処分にとりかかります。外国からの手紙、外国の雑誌、楽譜、書籍が、次々とストーブにくべられていきました。
 そんな父親の行動に、息子たちがいかなる思いを味わったか。胸が痛みます。
 父さんは母さんの嫌疑を晴らすために何かしてくれるのではなく、自分の身の安全を図ろうとしている……。
 でもこの当時、この国では、こうするよりほかはなかったのでしょう。
 スパイ容疑で起訴されたリーナには、ものの数分の審理で、20年の重労働、という有罪判決が下されます。
 北極圏に近い、ウラル山脈の奥地の強制収容所に送られたリーナは、この劣悪な環境の収容所で、息子たちとの面会も許されないまま、黙々と、強制労働に従事させられたのです。
 そして、ある日、収容所のラジオから、「作曲家プロコフィエフの追悼コンサートがアルゼンチンで開かれることになった」というニュースが流れたよ、と囚人仲間から教えられ、耐えに耐えてきた涙をどっとあふれさせます。
 プロコフィエフは1953年3月5日に世を去っていたのです。
 そして奇しくも同日、スターリンも亡くなり、雪解け時代を迎えます。
 リーナは1956年6月30日に、刑期を減じられて8年4か月ぶりに人の住む世に戻ることができました。
 リーナはプロコフィエフとの結婚の有効性を裁判所に申し立て、一審では認められたものの二審で覆されます。しかし、友人知人たちが証言台に立って、彼女の名誉は回復され、心ある人々はリーナをプロコフィエフの妻と認め、リーナも「セルゲイ・プロコフィエフ財団」を設立して亡き夫の作品普及に尽くしました。

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 リーナは1974年にソ連を離れ、晩年をイギリスで暮らしました。
  1989年1月3日に91歳で亡くなったリーナは、本人の希望によって、パリ近郊のムードンにある、プロコフィエフの母の墓に、並んで埋葬されました。かつて、プロコフィエフとの新婚時代に彼女がやさしく世話をして、その最期も看取った義母です。リーナはこの義母が好きだったのでしょう。
 プロコフィエフの墓はモスクワのノヴォデヴィチ墓地ににありますが、その隣には、1968年6月8日に53歳で亡くなったミーラが眠っているのです。そこに、リーナが入るわけにはいかないでしょう。
 ミーラは著名作曲家プロコフィェフを手に入れ、彼のオペラ『修道院での結婚』『真の男の物語』『戦争と平和』、バレエ『石の花』の台本作者として名を残し、ソ連邦時代には、「同志セルゲイ・セルゲイエヴィチを支えた妻にして、夫の台本作家として活躍した才能ゆたかな詩人・台本作者」「理想の芸術家夫婦」として西側にも喧伝されましたが、その存在は黒い霧に包まれています。実は彼女が意外に早く亡くなっていたことも、社会主義時代には秘匿されていました。
 しかし、実際には、プロコフィエフより15年しか永らえなかったせいもあって、プロコフィエフ未亡人として、さして評価されるべき活動をしたとはいえず、ソ連邦崩壊の現在では、ロシア国民からの尊敬も受けられていないように思われます。
 リーナは、あまりに不当な扱いを受け、人として辛酸をなめつくした経歴への同情からばかりではなく、やはり、真にプロコフィエフの人間と音楽を愛した、まことの妻であったという点において、ロシア国内外の多くの音楽関係者から、今も一目も二目も置かれています。歌手であったリーナは、夫の初期歌曲を何曲も初演したこともありました。
 二人の女性のはざまにあって、体制にからめとられ、どうすることもできず、自身の健康もどんどん悪化させて半病人の晩年を送り、61歳で没したプロコフィエフ。
 誰が悪いわけでもなく、すべては運命だったのかも知れませんが、神がリーナ・プロコフィエヴァにとてつもない試練を課した代りに、91歳の長命をお与えになったことを、わたくしは唯一の救いと思うのです。(完)

※4月19日に、上野優子さんのリサイタルでプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番を聴かせていただいたのがきっかけとなり、長年、祖国復帰後のプロコフィエフについて調べ、また感じていたことを、4月20日から6回にわたって連載させていただきました。このページからご覧になられた方は、よろしければ、4月19日、または20日から、日付順にお読みいただけますと、おわかりになりやすいと存じます。
                                  2023年4月25日記