プロコフィエフの最初の妻リーナは1897年にマドリードで生まれました。スペイン人の父もウクライナ人の母も歌手という歌手一家に育ち、やがてリーナ・リューベラというステージネームで舞台に立つようになります。6歳年上のプロコフィエフとは、彼がアメリカとヨーロッパを転々としていた時期に知り合って1923年にヴァイマール共和国で結婚しました。
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 プロコフィエフは早くにお父さんを亡くし、母子家庭で育った母親思いの息子でしたから、ヨーロッパ時代にはロシアから母親も呼び寄せて、リーナとともにフランスで暮らした時期があります。その時代に、リーナは、まだ結婚前の時期から、心臓病を患っていた彼のお母さんの面倒をとてもよく見たそうです。
 1924年の春に、お母さんはリーナに看取られて亡くなりました。その後、夫妻は二人の息子とともにアメリカに移りました。そして1930年代になると、彼はソ連邦への帰国を考えるようになります。祖国から、いろいろと好条件を示して、帰国を促してきたからです。ことに、1934年に一時帰国をしたときに、レニングラードのキーロフ劇場から、新しいバレエ音楽を委嘱されたことは大きな喜びで、題材としてシェイクスピアの『ロメオとジュリエット』を選んだ彼は、これを永住帰国の手土産にしようと張り切ります。
 でも、リーナは、嫌な予感がして夫の帰国願望を思いとどまらせようとしました。
 ことに、1936年1月28日、ショスタコーヴィチが『プラウダ』紙上で厳しい自己批判を迫られたのを知ったときには、帰国に大反対したのですが、結局一家はこの年にソヴィエト連邦共和国に移り住みました。でも、リーナの予感は正しかったのです。
                                 2023年4月21日記