3月31日は、ヨハン・セバスティアン・バッハのお誕生日。と申しましても、これは、現在、世界各国の暦の主流になっているたグレゴリオ暦に換算した日付で、誕生年1685年当時のドイツのプロテスタント諸国ではユリウス暦を用いていましたので、ヨハン・セバスティアン赤ちゃんが生まれたのは、ユリウス暦3月21日だったのでした。
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 ドイツのプロテスタント諸国では、復活祭の日付決定にとって、カトリックが1582年から採用しているグレゴリオ歴では不都合があるとして、長年、ユリウス暦を墨守していました。しかし、グレゴリオ暦の長所も理解して、1699年のレーゲンスブルク帝国議会のときに、復活祭の日付計算には、ルドルフ・ケプラーという天文学者が考案した星座表を雹を用いるけれども、日付の決定にはグレゴリオ暦を使用することを決めたそうです。
 ですので、一応、1699年以前のドイツの方たちのお誕生日は、本来、ユリウス暦による日付となります。でもそのままですと、他の国々の方たちとの整合性に問題があるので、現在ではグレゴリオ暦に換算した日付が採られているようです。ただし、ほとんどの伝記類には二重表記となっているかと思います。
 1699年が分水嶺だとすると、バッハと同じ1685年に同じドイツに生まれ、これまたグレゴリオ暦の採用が1752年と遅かったイギリスで活躍したヘンデルも、お誕生日を始め、生涯折々の日付も、ユリウス暦で表されていることが多いので、注意が必要かもしれません。
 ヘンデルの場合は、ユリウス暦2月23日、グレゴリオ暦3月5日がお誕生日です。
 同じ1685年生まれでも、カトリックのイタリアに生まれた、ドメニコ・スカルラッティのお誕生日は、シンプルに10月26日、ただ一つです。
 バッハの息子たちの世代からはもう大丈夫、ややこしいことはありません。
 1917年の革命後にようやくグレゴリオ暦に改まったロシアの作曲家の生涯日付に関しては、わりあい、注意が払われていますが、ドイツも結構、気をつけないといけませんようです。
 ところで、わが国では、明治5年12月2日(1872年12月31日)をもって、それまでの太陰太陽暦を廃し、翌日の明治5年12月3日を、いきなり明治6年1月1日として、このときからグレゴリオ暦に移行しています。この荒療治によって明治5年は1カ月近く短くなりました。

 ともあれ、暦的には欧米と同じになって、なにかと便利になったのではないかと思います。この改暦日を挟んで生きた日本人は、寿命を延ばされたと申しますか、縮められたと申しますか、ご自分の年が、わからなくなってしまいそうだったことでしょう。
  バッハのお誕生日をお祝いするはずが、思いがけず、暦のお話をさせていただいてしまいました。
                                    2023年3月31日記