昨日、マエストロ・ムーティのお話の一端を書きましたところ、ご反響をいただきましたので、昨日書ききれなかったことを補足させていただきます。
 お話のすみからすみまで、ヴェルディとイタリア・オペラへの愛に溢れ、その冒涜を決して許さない、という強い使命感が滲んでおられたのが、まず印象的で、そして、そのミッションの最高の使徒として敬愛なさってやまないのが、マエストロ・トスカニーニであること、それを、声を大にして強調されたのです。
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 ヴェルディの音楽の特質として、ロンバルディア出身の彼は同地の支配者であったオーストリアの音楽の影響も受けたけれども、ナポリ派の先生からパレストリーナ由来の「歌」の心も習い、対位法の教えも受けましたと語られ、だから、常にカンタ、ヴェルディのカンタを大切にしなければいけないと、言われました。
 ヴェルディはあらゆることに、非常に細かく注意を払っていました。ですから、例えば、リゴレットが、背をかがめてよたよた歩いていたとか思うと、アリアになったら突然、ふんぞり返って朗々と声を張り上げるなんておかしいでしょ、などと話されました。一般に、今の歌手たちが名人芸を聴かせようとするあまり、果てしなく声を伸ばすことが多いので、きちんと勉強して正しいフレージングの何たるかを知っているオーケストラの皆さんは、歌手の犠牲となられてしまい、お気の毒です、との発言もございました。
 それから、これは勇気ある大胆なご発言でしたが、「『仮面舞踏会』の第1幕で、判事がリッカルド総督のところへ来て、「ウルリカという、(醜い黒人の)占い師が人心を惑わしているので追放してください」という場面、今は、スカラでもメットでもコヴェントガーデンでも、(   )内はカットしますが、私はシカゴで上演した時、カットしませんでした。なぜならば、それは、ヴェルディの見解ではなく、判事というキャラクターの持つ価値観だからです。判事にそのように言わせることによって、ヴェルディは、判事の差別感覚を批判し、むしろ、ウルリカという虐げられた者の側に立って、判事に代表される世の偏見論者たちを批判しているのです」。
 マエストロ・ムーティのお考えの深さに、はっとして、息を飲みました。
 最後に、こんなお言葉がありました。
「私は舞台を聖なる所として教育を受けてきました。今日、トスカニーニ時代のそうした感覚がなくなりつつあり、文化のレベルが低下したことは、みなさんにも責任がありますよ」
                                    2023年3月19日記