本日、3月18日19:00~、東京文化会館大ホールにて、マエストロ・リッカルド・ムーティのヴェルディ『仮面舞踏会』の作品解説特別レクチャーがございました。本日より開幕した「東京・春・音楽祭2023」の一環です。28日と30日に、このオペラの本公演がありますため、それに先立って、マエストロ自ら解説してくださる、貴重な機会でした。
レクチャーと申しましても、お話だけではなく、ステージには、東京都交響楽団のフル・オーケストラがのり、マエストロのお話にあわせて、このヴェルディ中期後半の重要作の迫真の演奏を聴かせてくださるという、贅沢な企画でした。
マエストロ・ムーティは、事細かく解説してくださるばかりではなく、アリアの箇所では張りのあるお声と驚異的な歌唱力で朗々と歌われてオーケストラに指示をだされ、ぐんぐんとオーケストラを牽引されました。その指示に、瞬時に応える都響のレスポンスのよさもため息ものでした。
マエストロ・ムーティは、ユーモアをふんだんに交えながら、ヴェルディ・オペラの特徴、「仮面舞踏会」が他のヴェルディ・オペラとどう違うのかなど、思わず引き込まれる語り口で鮮やかに語ってくださいました。その端々で、マエストロが重ねて強調なさったことは、こんにち、イタリア・オペラの上演レベルと鑑賞レベルが低下していることへの無念さでした。
マエストロは、かなり辛辣な口調で、現在、ヴェルディの諸作をはじめとするイタリア・オペラが、例えば、人気テノールの個人の名人芸を持て囃す傾向にあることを嘆かれました。でも、そうであってはならず、ヴェルディはモーツァルトと同様の尊敬を払われるべきオペラ作曲家であること、イタリア・オペラはショーであってはならないことを強く訴えられました。
マエストロは、1930年代にトスカニーニがイタリアを離れてから、この傾向が強まってしまったことをたいへん無念に思っておられました。そうなったことの責任の一端は、聴衆にもある、と毅然としておっしゃられ、「そうした傾向に対するわたしの戦いは今も続いています」と、はっきり、おっしゃられました。そのお言葉の随所に、トスカニーニへの尊敬の念が滲んで目頭が熱くなりました。
トスカニーニを敬愛なさってやまないマエストロ・ムーティ、80歳とは思えない若々しいお声と指揮ぶりで、2時間強、やすみなく、語られ、指揮されました。今宵初めて合わされたというのに、即座にマエストロの棒についていく、東京春祝祭オーケストラの皆々様にも圧倒されました。
2023年3月18日記
レクチャーと申しましても、お話だけではなく、ステージには、東京都交響楽団のフル・オーケストラがのり、マエストロのお話にあわせて、このヴェルディ中期後半の重要作の迫真の演奏を聴かせてくださるという、贅沢な企画でした。
マエストロ・ムーティは、事細かく解説してくださるばかりではなく、アリアの箇所では張りのあるお声と驚異的な歌唱力で朗々と歌われてオーケストラに指示をだされ、ぐんぐんとオーケストラを牽引されました。その指示に、瞬時に応える都響のレスポンスのよさもため息ものでした。
マエストロ・ムーティは、ユーモアをふんだんに交えながら、ヴェルディ・オペラの特徴、「仮面舞踏会」が他のヴェルディ・オペラとどう違うのかなど、思わず引き込まれる語り口で鮮やかに語ってくださいました。その端々で、マエストロが重ねて強調なさったことは、こんにち、イタリア・オペラの上演レベルと鑑賞レベルが低下していることへの無念さでした。
マエストロは、かなり辛辣な口調で、現在、ヴェルディの諸作をはじめとするイタリア・オペラが、例えば、人気テノールの個人の名人芸を持て囃す傾向にあることを嘆かれました。でも、そうであってはならず、ヴェルディはモーツァルトと同様の尊敬を払われるべきオペラ作曲家であること、イタリア・オペラはショーであってはならないことを強く訴えられました。
マエストロは、1930年代にトスカニーニがイタリアを離れてから、この傾向が強まってしまったことをたいへん無念に思っておられました。そうなったことの責任の一端は、聴衆にもある、と毅然としておっしゃられ、「そうした傾向に対するわたしの戦いは今も続いています」と、はっきり、おっしゃられました。そのお言葉の随所に、トスカニーニへの尊敬の念が滲んで目頭が熱くなりました。
トスカニーニを敬愛なさってやまないマエストロ・ムーティ、80歳とは思えない若々しいお声と指揮ぶりで、2時間強、やすみなく、語られ、指揮されました。今宵初めて合わされたというのに、即座にマエストロの棒についていく、東京春祝祭オーケストラの皆々様にも圧倒されました。
2023年3月18日記
コメント
コメント一覧 (4)
安易な「興行」と化していたイタリア・オペラの改革に取り組み、ことにヴェルディ・オペラの真価を伝える上演を追求したトスカニーニ。ともにこの巨匠の背中を追ってきたショルティやレヴァインたち亡きあと、ムーティーには、ともすれば過剰な演出や歌手に偏りがちな(まさに「ショー化」した)今日のオペラ上演の現状に対する強い危機感とこれらをただす使命感があるのでしょう。
トスカニーニは単なる伝説ではありません。リハーサルを含めいくつかのヴェルディ・オペラの録音や映像がのこされています。それらを聴くと、壮大でドラマチックな構成力と迫力、全編にみなぎる「歌」の力に圧倒されます。まさに、「音楽」そのものがあるのです。何よりも、まずこれらに耳を傾けることが第一歩なのです。(たとえば、音楽評論家の山崎浩太郎氏は、「椿姫」のリハーサル録音を聴いてトスカニーニのリズムの神髄に目覚めたといいます。)
このたびのムーティーの熱い思いを音楽家や聴衆たちがしっかりと受け止め、トスカニーニの遺産を鑑にこれからのオペラ上演の在り方について考えるきっかけとなることを願うばかりです。
yukiko3916
がしました
そういえば、おっしゃるように、トスカニーニの衣鉢を継ぐショルティ、レヴァインさまたちが鬼籍に入られた今、ムーティさまの使命感は悲愴なまでの覚悟となっておられることを実感いたしました。
ブログ記事に書きませんでしたが、(ドイツの諸劇場の)過激な演出への批判的なお言葉もございました。世界のオペラ界、音楽界は、今や傘寿のマエストロ・ムーティのお言葉に、謙虚に耳を傾けてほしいものでございます。
yukiko3916
がしました
以前、たってのクライバーの願いにもかかわらず、ムーティがザルツブルグでの新演出「ばらの騎士」の指揮を固辞した背景についてやり取りしたことがありましたが、信念に基づく毅然たる拒絶だったわけですね。
では、これまでよく物議をかもしてきたバイロイトのワーグナーの東京春祭公演はいかにと見ると、今回は演奏会形式での「名歌手」でした。なるほどその手があったか、と妙に納得した次第。
そういえば、トスカニーニの唯一のオペラ全曲の映像「アイーダ」も、演奏会形式の公演をテレビ放送したものでした。(ああ、これこそ舞台での上演を見たかった!!)
yukiko3916
がしました
yukiko3916
がしました