萩谷由喜子のブログ

音楽評論家・萩谷由喜子が音楽話題や日々の所感を綴っています。

2023年07月

 東京フィルハーモニー交響楽団のオペラ演奏会形式が、マエストロ・バッティストーニのシリーズ以来、好調です。コロナ禍真っただ中の時はお休みもありましたが、このところ、マエストロ・チョン・ミョンフンの棒で名上演が続きます。 昨年のヴェルディ『ファルスタッフ』…
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 本日、すみだトリフォニーホールで開催された、墨田区が誇るトリフォニーホール・ジュニア・オーケストラの夏休みコンサートを拝聴してまいりました。このジュニア・オーケストラはトリフォニーホールを練習、及び本番会場として、同ホールの座付きオーケストラ、新日本フ…
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 7月29日はシューマン忌です。ロベルト・シューマンがボン郊外エンデニヒの施設で亡くなったのは1856年の本日ですが、エンデニヒの施設に収容される前にはデュッセルドルフで暮らし、その前にはドレスデンにいて、更にそれ以前はライプツィヒで新婚生活をスタートさせていま…
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 現代日本を代表する作曲家のお一人、細川俊夫先生のヴァイオリン協奏曲〈祈る人〉が昨晩の読売日本交響楽団第630回サントリーホール定期演奏会で初演され、初演者の樫本大進さんに献呈されました。指揮は同響常任指揮者のマエストロ・ヴァイグレです。 この協奏曲は、樫本…
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 なぜ、幸田延の伝記がなかったのか。昨日の記事では、そもそも、洋の東西を問わず、伝記の執筆対象は男性偉人が8~9割を占めたことを書きました。わたくしの個人メールに知人から、もうひとり、上げていただいたのは、「ヘレン・ケラー」でした。これは失念しておりました…
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 昨日の続きです。 わたくしは小学校の時から、伝記が大好きで、学級文庫や学校図書館の伝記類を読みふけってまいりました。学年があがるたびに、それまで知らなかった人物の伝記と出会えるのも大きな楽しみでした。 今、朝の連続テレビ小説で扱っている、牧野富太郎博士…
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 「幸田延」という、日本の洋学受容期の第一人者について、わたくしが、おぼろげに関心を持ちましたのは、前世紀の末頃でした。でも、当時は、いろいろな資料をあたりましても、わずかな、それもあまり好意的でない言及しかなく、隔靴掻痒の思いでした。それゆえ、かえって…
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 1777年、21歳のモーツァルトは、マンハイムとパリを主要目的地とする求職旅行の途上、アウグスブルクで、名製作家アンドレアス・シュタインの工房で彼の手になるフォルテピアノを試奏させてもらい、そのムラのない響きに感嘆して、すっかりフォルテピアノの虜となり、ザル…
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 昨日7月22日、東京藝術劇場で、読売日本交響楽団 第259回土曜マチネーシリーズを拝聴してまいりました。同団のクリエイティブ・パートナーの鈴木優人さんが指揮のみならずオルガン、チェンバロも担当され、ソリストとして、読響初共演のリコーダーのアンドレアス・ベーレ…
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 苦楽を共にした最愛の妻、エルザに先立たれて2年後の1947年、71歳になったワルターは、イギリス人のコントラルト(contralto、低めのアルト)歌手、キェスリーン・フェリアーを見出します。1912年生まれのフェリアーは、経済的な理由から音楽大学に学ぶことができず、電話…
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ルツェルンで、ワルターが愛娘の悲報に接して到底指揮のできる状態ではなくなり、彼の予定コンサートをトスカニーニが振ったのは1939年8月21日でした。 そのわずか11日後の9月1日、ナチスがポーランド国境を侵犯して第2世界大戦が始まりました。ただでさえ傷心のワルターは…
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1938年3月13日、ナチス・ドイツはオーストリアを併合し、オーストリア国内からユダヤ人の追放に取り掛かります。このときちょうど、ブルーノ・ワルターはエルザ夫人を伴ってオランダ演奏旅行中でした。彼はそのままウィーンに帰ることはできなくなり、国籍もはく奪され、ウィ…
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 本日の小平楽友サークル講座では、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ『美しき水車小屋の娘』を鑑賞いたしました。この方は、1993年暮れに、68歳で引退宣言をなさいました。今日鑑賞したフィルムは、その前年、1992年に行った一連のシューベルト3大歌曲集リサイタル…
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 猛暑の一日、お茶の水へ行く用事がございましたので、前々から気がかりだった、カザルスホールへ行ってみました。まさか、、、、とこわごわ、駿河台下へ下っていきますと、なつかしいエントランス・アプローチがあり、その奥に、ひっそりと、ございました。 何やら、無粋…
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 東京二期会の『椿姫』公演を7月13日と、本日7月17日の2公演、拝聴させていただきました。ダブルキャストで、13日は、谷原めぐみさんのヴィオレッタ、村上公太さんのアルフレード、今井俊輔さんのジェルモン、本日は、種谷典子さんのヴィオレッタ、山本耕平さんのアルフレー…
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 1901年、マーラーの副指揮者としてウィーン宮廷歌劇場で、マーラーが稽古をつけておいたレパートリーはもとより、新たに与えられた相当数のオペラを指揮し始めたワルターは、密かに自信を持っていた『タンホイザー』まで、悪意ある新聞攻撃にさらされます。でもボスのマー…
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 ウィキペディアの「ブルーノ・ワルター」のページに、ワルターの1901年から30年頃までの経歴は、このように記されています。「1901年にマーラーの招聘によってウィーン宮廷歌劇場の副指揮者となる。以後ウィーン宮廷歌劇場(ウィーン国立歌劇場)楽長、ミュンヘン宮廷歌劇…
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 1931年5月10日生まれの指揮者、作曲家の外山雄三先生が7月11日にご逝去されました。わたくしは、今年5月27日に 東京芸術劇場で開催されたパシフィックフィルハーモニア東京 第156回定期演奏会で外山先生の演奏を聴かせていただいたばかりでした。その日のレポートを「モ…
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 エセル・スマイス(1858-1944)は近年再評価のすすむイギリスの女性作曲家です。 スマイスは若き日にドイツに留学してライプツィヒ音楽院でヤーダスゾーンとライネッケに作曲を師事しました。でも、間もなく音楽院をやめ、その後はウィーンでヘルツォーゲンベルクから個人…
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 七夕に、マーラーの9番のことを書かせていただいたのを機に、ワルター指揮ウィーン・フィル1936年1月録音の名盤のお話に発展いたしましたら、ワルターの生涯を改めて知りたくなりました。略歴的なものは漠然と頭に入っており、お嬢さんの悲劇も思い返すたびに胸を衝かれま…
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