1808年の本日12月22日、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場を会場として、ベートーヴェンの作品だけを演奏する個展コンサートが彼自身の指揮によって開催されました。しかも、そのうちメイン4曲はこの日が初演という、音楽史上特筆されるべき記念碑的コンサートでした。こちらが、1815年のアン・デア・ウィーン劇場です。

【第1部】
★交響曲『田舎の生活の思い出』ヘ長調
アリア "Ah, perfido(ああ、不実な者よ)“作品65
ミサ曲ハ長調 作品86より、グロリア
★ピアノ協奏曲第4番ト長調
(休憩)
【第2部】
★大交響曲ハ短調
ミサ曲ハ長調 作品86より、サンクトゥスとベネディクトゥス
★合唱幻想曲
最初に演奏された交響曲『田舎の生活の思い出』ヘ長調とは、現在の交響曲第6番『田園』のことですが、この日はこれが第5番とされ、第2部の大交響曲ハ短調、現在の第5番『運命』のほうが第6番とされていました。
この2曲は同時進行の形で作曲が進められほぼ同時期に完成したらしいので、双子の兄弟とはいえ、実際にはヘ長調交響曲のほうがほんの少し早く出来上がったために、当時はこちらを第5番と呼んだようです。
アリア"Ah,
perfido(ああ、不実な者よ)“作品65は、これより8年ほど前に友人の作曲家ドゥセックの妻で優れたソプラノ歌手であったソフィアのために書かれた作品の再演ですが、歌う予定だった歌手が出演できなくなり、代りの歌手も棄権したため上演されませんでした。
ミサ曲ハ長調はこの前年にハンガリーのアイゼンシュタットで初演済みで、この日はそこからの抜粋を前半と後半に分けて演奏しました。今なら考えられないことです。
ピアノ協奏曲第4番は弟子のフィルディナント・リースが独奏することになっていたのですが、直前に書きあがったためリースの練習がまにあわず、やむなく、ベートーヴェン自身が指揮と独奏者を務めました。でも、この当時、彼の耳の病はかなり進んでいましたから、オーケストラとの齟齬が随所にめだって、悲惨な結果だったようです。
そして第九の先行作品である『合唱幻想曲』はピアノ独奏も伴う作品です。その独奏ピアノもベートーヴェン自身が弾いたのでした。
これほど盛りたくさんなプログラムは演奏時間約4時間もかかり、しかも真冬だというのに暖房施設もない凍えるような劇場で、聴衆は寒さに打ち震えながら聴かなければなりませんでした。新作は皆、出来上がったばかりで練習時間のないままの初演ですからトラブル続き、ベートーヴェンはオーケストラを相手に癇癪を起して怒鳴り散らし、それは無残なありさまだったそうです。『合唱幻想曲』にいたっては、打ち合わせの時はリピートなし、と決めたのにベートーヴェンはリピートしてしまい、彼に従う者、先へ進む者が相半ばして、耳を覆いたくなるような不協和な響きが劇場を満たしたということです。
それやこれやで、この前代未聞のコンサートは大失敗に終わっています。
ベートーヴェンの新作初演を4曲もいっぺんに聴けた方々は、現代からみれば幸運な方たちのようですが、凍えそうになりながら怒声の飛び交う混乱の修羅場で辛い辛抱をなさっていたのでした。
12月22日は、214年前にそんな修羅場コンサートが開かれた日でした。
2022年12月22日

コメント
コメント一覧 (2)
コンサート自体は失敗に終わったとのことですが、これだけのプログラム、中には(演奏は不完全でも)感激し戦慄して帰った聴衆もいたと信じます。しかし反面、時代なんていうものは、聴衆なんていうものは、その程度のものなのだということを知る良き資料となるかも知れません。われわれも、しっかりしなきゃ。
私が気づいたのは、このコンサートが表している第九交響曲への一里塚ということです。まず、「苦悩を通して歓喜に至る」第五交響曲の性格自体がそうですが、合唱幻想曲はオーケストラ(音)から合唱(言葉)へという第九のデッサンのようなものを示しています。しかもその初めにはピアノがあるという発想の楽屋裏のようなものまで示して。けれど一番印象に残るのは、ビアノ協奏曲第四番の第二楽章のレシタティーヴォが、第九第四楽章の歓喜の主題へ導くそれの“前身”を感じさせることです。聴覚無きベートーヴェンの音による“内声”、内声による“対話”を感じさせることです。
yukiko3916
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きっと「フロイデ!」さまなら、火の気のない会場で4時間も拘束されたとしても、このコンサートの歴史的意義とお値打ちに大感激されたことでしょう。タイムマシーンがあったなら、ぜひ行ってみたい場面ですが、わたくしなどは、寒さにねをあげていたかも存じません。ありがとうございました。
yukiko3916
が
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