昨晩19:00よりサントリ―ホールで開催された、カンブルラン指揮 読響第622回定期演奏会では、配布プログラムに写真のようなお知らせが挟まっていて、2曲目に演奏される、一柳慧作曲《ヴァイオリン度三味線のための二重協奏曲》の世界初演が、図らずも、作曲家の最後の作品の世界初演となってしまったことを伝えていました。本来でしたら会場にお姿をおみせになってご自作が音になったところを聴かれ、演奏終了後、ステージへ招かれて拍手をお受けになられるはずの一柳慧先生は、10月7日に89歳で逝去されておられたのでした。
一柳慧先生は昭和8年2月4日神戸生まれ。幼少から楽才を発揮し、青山学院高等部在学中の1949年に毎日音楽コンクール(当時)作曲部門室内楽の部で第1位を受賞、翌年と翌々年に第2位、第1位を受賞されました。1954年渡米、ジュリアード音楽院に学び、その後ジョン・ケージの思想と手法から影響を受けていらっしゃいます。この頃、オノヨーコさんと数年間の結婚生活を送られています。
帰国後、図形楽譜、不確定性の音楽などを日本に紹介なさるとともにご自身もそれらを採り入れた傾向の作品を発表しておられましたが、やがてミニマル・ミュージックの手法を摂取した音楽へと作風を転換なさいました。
一柳慧先生は昭和8年2月4日神戸生まれ。幼少から楽才を発揮し、青山学院高等部在学中の1949年に毎日音楽コンクール(当時)作曲部門室内楽の部で第1位を受賞、翌年と翌々年に第2位、第1位を受賞されました。1954年渡米、ジュリアード音楽院に学び、その後ジョン・ケージの思想と手法から影響を受けていらっしゃいます。この頃、オノヨーコさんと数年間の結婚生活を送られています。
帰国後、図形楽譜、不確定性の音楽などを日本に紹介なさるとともにご自身もそれらを採り入れた傾向の作品を発表しておられましたが、やがてミニマル・ミュージックの手法を摂取した音楽へと作風を転換なさいました。
昨晩、ヴァイオリンの成田達樹さん、三味線の本條秀慈郎さんのソロによって世界初演された《ヴァイオリンと三味線のための二重協奏曲》も、第2楽章にこのミニマルの手法が顕著に発揮されていてオーケストラのヴィオラとチェロが執拗に反復するシンプルな音型の上で、2つのソロ楽器が自由に発展し、絡み合いました。
盛大な拍手に応えて、ソリストお二人はすぐに出てこられ、あまりにもその場にぴったりのこの2つの楽器のデュオ曲を弾いてくださいました。どこかショスタコーヴィチの映画音楽を思わせる感傷的な旋律を持つ小品ですが、たぶん一柳先生のお作だろう思いましたらやはり先生の《Farewell to the Summer Light》という曲でした。もしかしたら一柳慧先生がアンコール曲まで書いておいてくださったのでしょうか。
他の演奏曲は、ドビュッシーの《遊戯》と《イベリア》、それにヴァレーズの《アルカナ》。《遊戯》からは《海》にも通じるドビュッシーのオーケストラ法を感じ、《イベリア》では南国のパッションと明るい色彩を楽しませていただき、そして《アルカラ》では打楽器陣の華麗で多彩な音響に眼を瞠ることの連続でした。打楽器奏者は何と14名。打楽器は20種。これだけの打楽器の大饗宴が演じられるのも、それを楽々と支える弦楽器と管楽器あってこそのことでございましょう。その全体を統率する、マエストロ・カンブルランのご手腕にため息が出ました。
2022年10月26日記
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