マエストロ・チョン・ミョンフンと東京フィルはこれまでにも『蝶々夫人』『フィデリオ』『カルメン』など、名作オペラをコンサート形式で上演なさり、このスタイルならではの、密度の濃い音楽と歌に集中できる歌手の名唱を堪能させてくださる一方、ステージ上の小さな空間を最大活用した寸劇によって舞台作品としてのおもしろさも満喫させてくださってきました。今回は、老ヴェルディのオペラ人生の総決算、最後に悲劇ではなく喜劇で人生を笑い飛ばして筆をおいた最終作『ファルスタッフ』をお取り上げになるというので、3公演中の最終公演である本日、わくわくしながらオーチャードホールへ出掛けました。
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 オーケストラが位置について、下手から、これを演じるために生まれてきたようなタイトルロールのバリトン、セバスティアン・カターナさんが、赤と青の色違いの横じまTシャツ姿の従者バンドルフォ(大槻孝志さん)と、ビストーラ(加藤宏隆さん)とともに登場し、居酒屋カーター亭のテーブルにつくのですが、おやおや、上手から、白いエプロンをかけたカーター亭の亭主が箒で床を掃きながら現れました。ぐるりと一周お掃除して、指揮台のうえまで念入りに掃いたところで箒をおき、白エプロンをはずして指揮台に立ったご亭主こそ、なんと、マエストロ・ミョンフンだったのです。会場はもう大湧きです。
 そのあとも指揮の合間に、ファルスタッフにビールをついであげたり、手鏡を渡してあげたり、まことに器用に助演されるのです。洗濯籠ごと川に投げ込まれて半死半生でカーター亭に戻ってきたファルスタッフには、やさしくタオルを肩にかけてあげて慰めておられました。そういうお芝居を指揮者がなさるとは、なんという練達の士でしょう。オーケストラも心得たもので、音楽に停滞はありません。
 幕が替るたびに、場面表示の札もマエストロがもっともらしいお顔でめくられました。
 そうしたちょっとしたアイディアの積み重ねで、簡素な道具立てにもかかわらず、すべての場面が生き生きと演じられました。マエストロの素晴らしいところは、このような演出をすべてご自身で考え出して絶妙のタイミングでドラマに参加なさりながら、当然ではございますが、音楽運びもそれにぴたりと適ったすべてが一体となった上演が実現されていることでした。
 ヴェルディの意図に精通し、すみからすみまでスコアを深く読み解いておられることはもちろんですが、本質的にユーモアと遊び心をお持ちの、しかもとても頭のいい方だからこそ、こんなことがお出来になるのだと感嘆しつつ、随所で心の底から笑わせていただきました。
 コンサートマスターは近藤薫さん。出演者は以下の方々でございました。


指揮・演出:チョン・ミョンフン(東京フィル 名誉音楽監督)
ファルスタッフ(バリトン):セバスティアン・カターナ
フォード(バリトン):須藤慎吾
フェントン(テノール):小堀勇介
カイウス(テノール):清水徹太郎
バルドルフォ(テノール):大槻孝志
ピストーラ(バス):加藤宏隆
アリーチェ(ソプラノ):砂川涼子
ナンネッタ(ソプラノ):三宅理恵
クイックリー(メゾ・ソプラノ):中島郁子
メグ(メゾ・ソプラノ):向野由美子
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:河原哲也)
                               2022年10月23日記