1791年の本日、9月28日に、モーツァルトはオペラ『魔笛』を完成させることができました。
俳優兼脚本家、芝居小屋の座長でもあったエマヌエル・シカネーダーからの「幅広い年代層が喜ぶメルヘン調のたのしい歌芝居を」という依頼に沿って、同年の春から作曲に取り掛かったモーツァルトですが、夏にはオペラ『皇帝ティトスの慈悲』と例の『レクイエム』の依頼が割り込んできたために、『魔笛』の作曲は遅れに遅れます。それでも、9月6日に『皇帝ティトスの慈悲』をプラハで初演すると、帰りの馬車の中から再び『魔笛』と取り組みます。
シカネーダーは彼のために、と申しますよりも、彼を缶詰にするために、あずまやを提供して三度のご飯とワインを差し入れます。モーツァルトはそのあずまやにこもって、夜に日を継いで仕事を進め、初演日の2日前の9月28日、ついに全曲の完成をみたのでした。
なんという強い集中力でしょうか。
2日後、9月30日のアウフ・デア・ヴィーデン劇場における初演では、依頼主にして台本作家でもあるシカネーダーが、鳥刺しパパゲーノを演じ歌って、大成功を収めました。
モーツァルトはどんなにか、ほっとし、嬉しかったことでしょう。
「これで二つはかたづいた。さあ、残る大物はあとひとつ。それもなんとか完成させなくては……」
けれども、最後の1作は手ごわくて、彼の悲願は叶わなかったのです。
自分でも大好きだった『魔笛』のパパゲーノのアリアを口ずさみ、未完の『レクイエム』に心を残しながらこの天才が35歳で亡くなったのは、『魔笛』の完成、初演から2カ月と数日後、12月5日のことです。
かわいそうなヴォルフガング…
2022年9月28日記
俳優兼脚本家、芝居小屋の座長でもあったエマヌエル・シカネーダーからの「幅広い年代層が喜ぶメルヘン調のたのしい歌芝居を」という依頼に沿って、同年の春から作曲に取り掛かったモーツァルトですが、夏にはオペラ『皇帝ティトスの慈悲』と例の『レクイエム』の依頼が割り込んできたために、『魔笛』の作曲は遅れに遅れます。それでも、9月6日に『皇帝ティトスの慈悲』をプラハで初演すると、帰りの馬車の中から再び『魔笛』と取り組みます。
シカネーダーは彼のために、と申しますよりも、彼を缶詰にするために、あずまやを提供して三度のご飯とワインを差し入れます。モーツァルトはそのあずまやにこもって、夜に日を継いで仕事を進め、初演日の2日前の9月28日、ついに全曲の完成をみたのでした。
なんという強い集中力でしょうか。
2日後、9月30日のアウフ・デア・ヴィーデン劇場における初演では、依頼主にして台本作家でもあるシカネーダーが、鳥刺しパパゲーノを演じ歌って、大成功を収めました。

モーツァルトはどんなにか、ほっとし、嬉しかったことでしょう。
「これで二つはかたづいた。さあ、残る大物はあとひとつ。それもなんとか完成させなくては……」
けれども、最後の1作は手ごわくて、彼の悲願は叶わなかったのです。
自分でも大好きだった『魔笛』のパパゲーノのアリアを口ずさみ、未完の『レクイエム』に心を残しながらこの天才が35歳で亡くなったのは、『魔笛』の完成、初演から2カ月と数日後、12月5日のことです。
かわいそうなヴォルフガング…
2022年9月28日記
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