昨9月21日の夜は、としま区民センター小ホールで開催された古典四重奏団の『ベートーヴェンの時代2022 ムズカシイはおもしろい!!』を聴かせていただいてまいりました。1986年に東京藝術大学と同大学院の卒業生4名で結成されたこのカルテットは、もう結成36年。80数曲のレパートリーをすべて暗譜演奏するという驚異的な団体ですが、その暗譜が、単なる暗譜のための暗譜ではなく、弾きこみをかさねるうちに、自分以外の3人の仲間のパートまですべて、自然、当然、必然としていつしか血となり肉となった結果の暗譜であることが、拝聴しているとありありとわかる、そのような極めて高次の暗譜であることが大きな特徴でいらっしゃいます。
今進行しているシリーズはベートーヴェンで、昨晩は後期5曲を2回にわけたプログラムのうちの、第12番変ホ長調作品127、第16番ヘ長調作品135、第14番嬰ハ短調作品131の3曲でした。
最初に、チェロの田崎さんが登場され、ベートーヴェンという人は、晩年に作風を大きく変貌させた作曲家の代表選手であること、それまでは、わかりやすさこそが彼の旗印であったベートーヴェンが、晩年にかくも難解なものへとひたすら突き進んだのだけれども、その難解そうなものが読み解けてくれば、そこには必ずや、面白さを感じることができるであろうというような、ベトーヴェン後期への道しるべ、手掛かりというべき、貴重なお話をなさいました。
それこそが「ムズカシイは面白い!!」というシリーズ・タイトルのゆえんでしょう。
そのことを頭の片隅に置いただけでも、ずいぶんと後期作品が身近になったように感じました。
さすが、田崎さん。そして、配布プログラムには、第一ヴァイオリンの川原千真さんによる、非常に鋭い分析が利きながらも平易に、しかし磨き抜かれた言葉で書かれた絶品の曲目解説が掲載されていて、拝読してたいへん勉強になりました。
3曲は性格が異なりながら、どれも隅から隅までどこを切ってもベートーヴェンですが、やはり当夜の白眉は、最後に演奏された、長大な大曲、嬰ハ短調の作品131でございました。シンメトリカルなアーチ状の橋を一歩ずつ着実に歩を踏みしめながら渡っていかれ、ついにあの鋭く激しい、髪の毛一筋の雑念も入り込む余地のない厳しい音楽である第7楽章を弾き終えた時の気迫のすさまじさ。
昨年の大みそかの東京文化会館小ホール、恒例のベートーヴェンSQ分担演奏会でも、古典四重奏団が131をお弾きになりました。131は古典四重奏団にぴったりの曲だと存じます。
このような演奏を聴かせていただきますと、ムズカシイ が、ありありと面白いに転じる実感がございます。
田崎さん、川原さん、花崎さん、三輪さん、ありがとうございました。
2022年9月22日記

今進行しているシリーズはベートーヴェンで、昨晩は後期5曲を2回にわけたプログラムのうちの、第12番変ホ長調作品127、第16番ヘ長調作品135、第14番嬰ハ短調作品131の3曲でした。
最初に、チェロの田崎さんが登場され、ベートーヴェンという人は、晩年に作風を大きく変貌させた作曲家の代表選手であること、それまでは、わかりやすさこそが彼の旗印であったベートーヴェンが、晩年にかくも難解なものへとひたすら突き進んだのだけれども、その難解そうなものが読み解けてくれば、そこには必ずや、面白さを感じることができるであろうというような、ベトーヴェン後期への道しるべ、手掛かりというべき、貴重なお話をなさいました。
それこそが「ムズカシイは面白い!!」というシリーズ・タイトルのゆえんでしょう。
そのことを頭の片隅に置いただけでも、ずいぶんと後期作品が身近になったように感じました。
さすが、田崎さん。そして、配布プログラムには、第一ヴァイオリンの川原千真さんによる、非常に鋭い分析が利きながらも平易に、しかし磨き抜かれた言葉で書かれた絶品の曲目解説が掲載されていて、拝読してたいへん勉強になりました。
3曲は性格が異なりながら、どれも隅から隅までどこを切ってもベートーヴェンですが、やはり当夜の白眉は、最後に演奏された、長大な大曲、嬰ハ短調の作品131でございました。シンメトリカルなアーチ状の橋を一歩ずつ着実に歩を踏みしめながら渡っていかれ、ついにあの鋭く激しい、髪の毛一筋の雑念も入り込む余地のない厳しい音楽である第7楽章を弾き終えた時の気迫のすさまじさ。
昨年の大みそかの東京文化会館小ホール、恒例のベートーヴェンSQ分担演奏会でも、古典四重奏団が131をお弾きになりました。131は古典四重奏団にぴったりの曲だと存じます。
このような演奏を聴かせていただきますと、ムズカシイ が、ありありと面白いに転じる実感がございます。
田崎さん、川原さん、花崎さん、三輪さん、ありがとうございました。
2022年9月22日記
コメント
コメント一覧 (2)
実にうらやましい!
古典四重奏団のあの「全曲暗譜してから弾く」という姿勢にはいつもただただ敬服しております。
それとともに演奏者としての本来あるべき姿かなとも思っています。
国語の勉強でも、昔は「暗唱」ということをよくやりましたが、あれをやると全体が一つとしてつかめる。
今読んでいる位置とともに、最終的には何処へ行き着くのか、何処を目指しているのかということが
よくわかり、詩歌や漢文が記憶というよりは、身体に入ってくる。身について来る。すると何処かで
その作者になったような部分的「憑依」現象も起こってくる感じです。
音楽の世界でも「遠聴」という言葉があるようですが、あのように、遙かを見渡しながら演奏できる。
ベートーヴェンの後期弦楽四重奏の世界の入り口と出口を見渡して、同時にその頂点を極めるというような
プログラムですが、特に第14番を全曲暗譜の演奏で聴くというのは、極みも極み。どれほどの眺めかと
推察します。いわばベートーヴェンの自叙伝、自分史みたいな作品。最後に吐露する「告白」のような
作品ですものね。しかもバッハの「フーガ」から自身の「ソナタ形式」までを見渡し、対比し、ドイツ
100年の音楽史を俯瞰して、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンとは何者か?ということに
答えを出してから去ろうとする。嘆きの告白から始めて、死の胸元に突進するところまでを描こうというような
ドラマですからね。一見、軽みのある散文のように見せつつも。
「大フーガ」のメノモッソの延長上にあるアダージョのフーガが心に残ります。バッハとは違うベートーヴェンの
フーガが。しかも第6楽章にはバッハへのオマージュのような、「ヨハネ受難曲」の受難コラールまでが
出て来るではありませんか。
祝された一夜のご報告に感謝します。
yukiko3916
が
しました
わたくしも、あの方々の演奏姿勢には尊崇の念を感じております。
暗譜の深い意味に気づかされます。
わたくしは。古典四重奏団の暗譜演奏を、昔の「素読」にも似ているように感じるのです。孔孟の教えをひたすら暗唱するうちに、いつかその内奥に自然にめざめる「素読」。それを音楽に移して磨きぬき、もっとも高い境地に到達したもののように思えます。
この同じプログラムの公演は、25日の日曜日14:00、オペラシティ地下のリサイタルホールでもう一度あります。
残りの2曲、132と「大フーガつき」130は、10月27日、木曜日19:00、ルーテル市ヶ谷、及び、10月30日、日曜日14:00、オペラシティ地下のリサイタルホール、の2回がございます。
お問い合わせは、ビーフラットミュージック 03-6908-8977 まで。
yukiko3916
が
しました