新ウィーン派といえば、シェーンベルクさんと、お弟子のベルクさん、ウェーベルンさんのお名前が浮かびます。そのうちのアントン・ウェーベルンさんはクロアチアに領地を持つオーストリア=ハンガリー帝国の貴族の家系の息子として、1883年にウィーンに生まれました。1904年から4年間シェーンベルク先生に師事し、そのいわば卒業作品として書いたのが、作品中最も名高く今も演奏機会の多い『パッサカリア ニ短調』でした。
第二次大戦下、ともかくもユダヤ人ではなかったため、ナチスドイツの人種的な迫害を受けることはありませんでしたが、オーストリアがドイツに併合されると、彼の難解な作品は退廃音楽のレッテルを貼られて、上演禁止となり、仕事の注文も来なくなり、経済的な困窮を体験します。
そして1945年5月、ようやくドイツが降伏して、ひとまず戦乱状況ではなくなります。彼はザルツブルク近郊の娘一家の家に身を寄せていました。娘婿は元ナチス親衛隊員で、今は闇ブローカーをしていました。そこで婿は、たばこ、特に葉巻に眼のない義父のために腕を振るって上等な葉巻を手に入れ、義父に献上します。
大喜びしたウェーベルンさんは、おうちの中で吸っては孫たちによくないと、夕闇の降りる頃、お外にでて、わくわくしながら火をつけたのです。
ところが、娘婿さんは前々から進駐軍に元ナチス親衛隊の闇屋としてマークされていたので、おうちは見張られていたのです。夜のとばりが降りかかる中、夕闇にぽっと灯った一つの灯り。これはてっきり、闇屋の取引合図に違いないと、見張りの兵士はその火めがけて発砲しました。
それが1945年の9月15日、本日の夕刻でした。
胸に二発の銃弾を受けたウェーベルンさんは、お気の毒にも、こうして61歳の生涯を閉じられたのでした。愛煙家であったがための悲劇でした。
77回目のご命日の今日、代表作『パッサカリア』を聴いて、ご冥福を祈りました。聴きやすい音楽だと存じます。
Webern: Passacaglia For Orchestra Op. 1 - YouTube
2022年9月15日記

第二次大戦下、ともかくもユダヤ人ではなかったため、ナチスドイツの人種的な迫害を受けることはありませんでしたが、オーストリアがドイツに併合されると、彼の難解な作品は退廃音楽のレッテルを貼られて、上演禁止となり、仕事の注文も来なくなり、経済的な困窮を体験します。
そして1945年5月、ようやくドイツが降伏して、ひとまず戦乱状況ではなくなります。彼はザルツブルク近郊の娘一家の家に身を寄せていました。娘婿は元ナチス親衛隊員で、今は闇ブローカーをしていました。そこで婿は、たばこ、特に葉巻に眼のない義父のために腕を振るって上等な葉巻を手に入れ、義父に献上します。
大喜びしたウェーベルンさんは、おうちの中で吸っては孫たちによくないと、夕闇の降りる頃、お外にでて、わくわくしながら火をつけたのです。
ところが、娘婿さんは前々から進駐軍に元ナチス親衛隊の闇屋としてマークされていたので、おうちは見張られていたのです。夜のとばりが降りかかる中、夕闇にぽっと灯った一つの灯り。これはてっきり、闇屋の取引合図に違いないと、見張りの兵士はその火めがけて発砲しました。
それが1945年の9月15日、本日の夕刻でした。
胸に二発の銃弾を受けたウェーベルンさんは、お気の毒にも、こうして61歳の生涯を閉じられたのでした。愛煙家であったがための悲劇でした。
77回目のご命日の今日、代表作『パッサカリア』を聴いて、ご冥福を祈りました。聴きやすい音楽だと存じます。
Webern: Passacaglia For Orchestra Op. 1 - YouTube
2022年9月15日記
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