エフゲニー・キーシンさんは1971年10月10日生まれのもうすぐ51歳。昨2021年8月にザルツブルクの祝祭大劇場(2179席)で開催したリサイタルのライヴ・レコ―ディングの2枚組アルバムが、このほどリリースとなりました。開封してディスクを再生機にかけますと、流れてきた1曲目は、ベルクのソナタです。弱音で遠慮がちに歌い出された主題が次第に明瞭に彫琢されていき、きらきらと光沢を放つありさまに耳を奪われつつ、ライナーノートを開きました。すると、6ページ目に、このリサイタルの直前に逝去された恩師アンナ・パヴロヴナ・カント―ル先生の小さなお写真と共に、キーシンのこんなあいさつ文が載っていました。
「私の恩師アンナ・パヴロヴナ・カント―ルは2021年7月27日に98歳でこの世を去りました。アンナ・パヴロヴナは、私が彼女のもとで学び始めてまもなく、私にとって先生以上の存在となりました。この数年間彼女は家族の一員のような、本当の友人だったのです。彼女は私たち家族全員と親しくなり、30年前に私たちと一緒に住むようになりました。彼女は私の唯一のピアノの先生であり、私がピアノを弾けるようになったのはすべて彼女のおかげです。本当に驚くべき女性で、類まれな誠実さと純粋さを持っていた人でした。私はこの録音をアンナ・パヴロヴナの思い出に捧げます」
ピアニストは一般に、修業過程で何人かの先生の教えを受け、そのよいところをいただきながら自己を磨いていくものですが、キーシンさんは世にも珍しい、一人の先生にしかつくことのなかったピアニストです。あのキーシンさんが、「私がピアノを弾けるようになったのはすべて彼女のおかげです』と言い切った、彼の唯一無二の存在でいらしたとは、ピアノもさることながら、人間的な魅力にあふれていらしたことでしょう。
カント―ル先生に捧げられたこのライヴ・アルバムには、他に、フレンニコフの『3つの小品『5つの小品』、ガーシュウィンの『3つの前奏曲』、ショパンのノクターン第17番、即興曲1番から3番、スケルツォ1番、英雄ポロネーズ、までが正規プログラムとして入っていて、続けてキーシン名物アンコール・サービスである、メンデルスゾーンのデュエット、キーシン自作のドデカフォニック・タンゴ、ショパンのスケルツォ2番、ドビュッシーの『月の光』まで、臨場感たっぷりに聴くことができます。どの曲も、キーシンさんらしい、温かな音色と人懐こい表情がなんとも申せません。
1923年にサラトフのユダヤ人家庭に生まれ、お父さまをスターリンの粛清によって銃殺刑で亡くされたのち、ピアノ教育に情熱を注がれてこられたというカント―ル先生も、あの世でどんなにか、お喜びのことでしょう。
2022年9月12日記

「私の恩師アンナ・パヴロヴナ・カント―ルは2021年7月27日に98歳でこの世を去りました。アンナ・パヴロヴナは、私が彼女のもとで学び始めてまもなく、私にとって先生以上の存在となりました。この数年間彼女は家族の一員のような、本当の友人だったのです。彼女は私たち家族全員と親しくなり、30年前に私たちと一緒に住むようになりました。彼女は私の唯一のピアノの先生であり、私がピアノを弾けるようになったのはすべて彼女のおかげです。本当に驚くべき女性で、類まれな誠実さと純粋さを持っていた人でした。私はこの録音をアンナ・パヴロヴナの思い出に捧げます」
ピアニストは一般に、修業過程で何人かの先生の教えを受け、そのよいところをいただきながら自己を磨いていくものですが、キーシンさんは世にも珍しい、一人の先生にしかつくことのなかったピアニストです。あのキーシンさんが、「私がピアノを弾けるようになったのはすべて彼女のおかげです』と言い切った、彼の唯一無二の存在でいらしたとは、ピアノもさることながら、人間的な魅力にあふれていらしたことでしょう。
カント―ル先生に捧げられたこのライヴ・アルバムには、他に、フレンニコフの『3つの小品『5つの小品』、ガーシュウィンの『3つの前奏曲』、ショパンのノクターン第17番、即興曲1番から3番、スケルツォ1番、英雄ポロネーズ、までが正規プログラムとして入っていて、続けてキーシン名物アンコール・サービスである、メンデルスゾーンのデュエット、キーシン自作のドデカフォニック・タンゴ、ショパンのスケルツォ2番、ドビュッシーの『月の光』まで、臨場感たっぷりに聴くことができます。どの曲も、キーシンさんらしい、温かな音色と人懐こい表情がなんとも申せません。

1923年にサラトフのユダヤ人家庭に生まれ、お父さまをスターリンの粛清によって銃殺刑で亡くされたのち、ピアノ教育に情熱を注がれてこられたというカント―ル先生も、あの世でどんなにか、お喜びのことでしょう。
2022年9月12日記
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