今から117年前の明治38年5月27日午前245分、五島列島中通島西方約50マイル付近を警戒していた日本海軍の哨戒艦『信濃丸』は、南東方向の洋上に不審な燈火を発見します。艦長の成川揆(はかる)大佐は静かに接近して確認に努めるうち、備砲がないことなどから、どうやら病院船と判断します。と同時に、左舷1,500メートル以内の至近距離に相当数の軍艦が航行しているのに気づき、背筋に冷たいものが走りました。幸いにも『信濃丸』は敵に気づかれていないようです。

前の年の2月から始まっていた日露戦争は新たな局面に入っていて、ロシアが大編成のバルチック艦隊で日本に再攻撃を仕掛けてくることがわかっていましたので、果たしてバルチック艦隊は、いつ、いかなるルートをとって日本に接近してくるかをいち早く知ることが戦いに備える最大の焦点でした。

 死を覚悟しながらも445分、成川大佐は打電します。

「敵艦隊見ユ二〇三地点 信濃丸」

 この第一報は対馬の尾崎湾に停泊する海防艦『厳島』が中継して、鎮海湾に待機する『三笠』の連合艦隊司令官東郷平八郎のもとへ届けられました。

 東郷はただちに全艦隊に抜錨を命じて出動態勢に入るとともに、東京の大本営に歴史的な電文を送らせます。

「敵艦隊見ゆとの報に接し聯合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」

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 電文前半は傍受解読を防ぐための符牒を使った暗号文でしたが、後半の「天気晴朗なれども波高し」は平文で、これは聯合艦隊首席参謀秋山真之(さねゆき)が、その朝の天気予報「天気晴朗なれども波高からむ」から思いついて付け加えた一文でした。

「天気晴朗」には視界良好ゆえに敵艦を見逃す恐れが少ないこと、「波高し」には、地球半周の遠洋航海中、ドック入りも叶わず訓練の機会もないままやっと対馬海峡にたどり着いたロシア艦隊よりも、射撃訓練を充分に重ねてきた聯合艦隊にとって有利な波浪条件であるという意味合いが込められていたと解釈されています。そして同時に、長い間待ちに待った決戦機会を前にした秋山らの胸の高鳴りと逸る心も、波の高さにかけて表現されていたのでしょう。

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 最初にバルチック艦隊と遭遇したのは、対馬の浅茅湾を出撃した片岡七郎中将率いる第三艦隊でした。海防艦四隻と通報艦からなるこの艦隊の任務は、ロシアの艦隊を誘導して、東郷率いる日本の主力艦隊に引き渡すことでした。ロシア艦隊は第三艦隊と交戦しませんでしたが、そのうちに、第二艦隊に属する四隻の駆逐艦が、相手の針路を測るためにバルチック艦隊の前を横切りました。それをみて、これはてっきり、機雷を撒かれたものと思い込んだロシア艦隊のロジェストヴェンスキー司令官は、機雷を避けようと動転し、でも相手への攻撃もしなければならぬと焦った結果、整然とした単列縦隊で進んできた自艦隊の隊列を乱してしまいました。

 午後1時39分、第三艦隊に先行される形で北上してきたバルチック艦隊の姿を、ついに第一艦隊旗艦の『三笠』の東郷司令官が認めました。戦闘開始が下知され、「皇国の興廃、この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」を示すZ旗が『三笠』に掲げられました。 

 旗艦『三笠』を先頭に『敷島』『富士』『朝日』『春日』『日進』が単列縦隊を組む東郷の第一艦隊と、それに続く上村彦之亟司令官の座乗する『出雲』以下、『吾妻』『常盤』『八雲』『浅間』『磐手』の第二艦隊は美しい隊列を保ちながら、すでに隊列を乱してしまって北上してくるバルチック艦隊の左翼をすれ違うかのように南西に進みます。

そして午後25分、相手艦隊との距離を8000メートルにまで縮めたところで、突如、取り舵の指示が出され、針路を東北東にとって150度の大回頭に入りました。

これが、後世に「東郷ターン」として国際的に知られることになる敵前大回頭です。

相手方の艦隊を縦の画と見立てれば、左から横の一文字を描いて丁の字をなす、丁字、あるいはアルファベットならば大文字のTを描く、丁字(T字)戦法と呼ばれる、捨て身の作戦です。

ひとたび、丁字型の完成形に持ち込んでしまえば、敵の進路を遮ることができるばかりではなく、一列に並んだ味方艦のそれぞれ前後に据え付けられている大砲を右舷に向けて、二門の大砲を無駄なく使って一斉に敵艦隊の先頭艦を攻撃できます。

一方、敵艦隊は、先頭艦の前の大砲しか使えません。二番艦以下は前を塞ぐ自分の陣営の艦が邪魔になって攻撃できないのです。ですから、横一列に並んだ味方艦隊はほとんど無傷のまま攻撃していき、先頭艦を沈めたら、二番艦、三番艦と順に沈めていくことが可能となるのです。

しかし、このあまりにもメリットに富む丁字型の完成形に持ちこむには、大きなリスクがあります。それは、回頭中は砲撃できないために、敵艦隊から一方的に砲弾を浴びてしまうというリスクです。この危険負担に耐えて艦隊全艦の回頭が完了すれば、あとは一方的に有利な展開となるのです。これが美しい丁字型の完成形でございます。

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 しかし、この作戦は、大回頭を開始するタイミングを図るのが極めて難しく、早すぎれば敵は反対方向へ去ってしまいますし、遅すぎれば距離が縮まって回頭中の敵弾の命中率がぐんと高くなり大損害を被ります。全艦隊の一糸乱れぬ動きも要求されますから、そのためには、日頃からそれを可能とする厳しい訓練を重ねなければなりません。

 実は、前年810日の黄海海戦でも、東郷はこの戦法を採用したのですが、そのときは失敗に終わりました。しかし今回はその教訓が生かされ、距離8,000メートルという絶妙なタイミングで、多少の敵弾を浴びながらも隊列の乱れもなく、短時間のうちに回頭を終えることができました。すれ違うと見せかけて、やにわに大ターンを開始して丁字型に持ち込んでいく段階図がこちらでございます。OIP


 これにより横一列となった聯合艦隊は、乱れた縦2列になっていた敵の先頭艦『オスラービア』をまず集中攻撃しました。

『オスラービア』は、火災を起こして大きく左舷に傾きました。

聯合艦隊の次の目標は、ロジェストヴェンスキー司令官の座乗する旗艦『スウォーロフ』でした。午後250分、聯合艦隊の放った一弾が『スウォーロフ』の司令塔を直撃し、ロジェストヴェンスキーに、一時人事不省に陥るほどの重傷を負わせました。同艦は舵も破壊され、艦隊の列外に落伍します。午後37分には、傾いていた『オスラービア』が沈没しました。

聯合艦隊でも、先頭艦の『三笠』がもっとも激しく砲弾を浴びて多くの死傷者を出したほか、しんがりを務めていた『日進』の被害も甚大でした。同艦に乗艦していた大艦隊次席指揮官の三須宗太郎中将は、至近距離で炸裂した砲弾の破片を浴びて片目失明の重傷を負い、司令部員多数が戦死なさいました。のちに聯合艦隊司令長官となる山本五十六(当時は高野五十六)も少尉候補生として同艦に乗艦していたところ、左手指二本を失う重傷を負っています。

しかしながら、隊列が乱れることはなく、相手艦隊との距離を3,000から5,000メートルにまで縮めて激しい砲撃を加え、砲弾の命中度もぐんぐんと高めていきました。ロシア艦隊は散り散りとなり、どの艦もウラジオストク方面へ逃れようとしましたが、聯合艦隊は機敏な動きを繰返して常に敵の北方を塞いでいきました。

ついに、ロシアの各艦はウラジオストク方面への敗走をあきらめ、今度は南方に退路を求め始めます。しかし、聯合艦隊は追撃の手を緩めず、戦艦『アレクサンドル三世』と『ボロジノ』を沈め、最終的に『スウォーロフ』も炎上させ沈没に導きました。 

バルチック艦隊はこの海戦によって戦力のほとんどを喪失しました。

目的港ウラジオストクに到着できたのは、全艦船三十八隻のうち、駆逐艦二隻と二等巡洋艦一隻の三隻のみ。戦艦六隻、その他十五隻の計二十一隻が自沈を含めて沈没し、六隻が拿捕され、六隻が中立国の港に逃げてそこで抑留されました。

このほか、二隻の病院船のうち一隻は条約違反行為があったため、拿捕されて日本海軍に編入され、もう一隻は本国帰還を許されました。戦死者は4,830名、捕虜となった者はロジェストヴェンスキーとネボガトフ両提督を含む6,106名に及びます。

これに対して、聯合艦隊では水雷艇3隻が沈没したに過ぎず、戦死者は117名、戦傷者583名にとどまり、大艦隊同士が演じた近代の海上決戦としては稀にみる、一方的な勝利に終わりました。

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 この日本海海戦の戦記は、昨日ご紹介した拙著(上の写真)の一部を改訂したものです。

 今から117年前の本日のちょうど今頃、対馬沖でわが国の命運をかけた海戦がおこなわれ、それに勝つことができたおかげで日本は暗い運命を免れました。

 全体としてみれば、日露戦争は植民地主義同士のぶつかり合いで、日本が一方的な被害国であったとは言えないでしょうが、もしも負けていたらどのようなゆく手が待ち受けていたのか、背筋の凍る思いがいたします。

 この戦争に比べますと、今現在、ウクライナ東部で熾烈化しているロシアによるウクライナへの武力侵攻は一方的な侵略戦争であり、人命、人道、人権をふみにじる犯罪行為以外の何ものでもございません。これまでにも多くのウクライナ軍兵士が、あるいは非戦闘員までもが捕虜になられてしまったそうで、ロシアのあのやり口から見て、捕虜の人権尊重などありえず、酷い扱いを受けておいでかと胸が痛みます。

 これ以上、罪なきウクライナの方々の人命が失われたり、捕虜になられたりすることのないよう、この戦争はウクライナの勝利に終わっていただくことを、日本海海戦から117年目の記念日に切に願う次第でございます。

                              2022527日記